マタギを目指すも母は大反対
── 実際にマタギたちと一緒に山に入り、どんなふうに感じましたか?
蛯原さん:同じ景色を見ているはずなのに、マタギたちの情報量の多さに驚きました。山のことを、まるで自分の庭のように把握しているんです。今いる場所がどんな地形で、どういった危険があるのか。どこにクマが出やすいかなどを瞬時に認識していたんです。
マタギは集団で狩りをします。クマを探すときは何班かにわかれ、無線機で連絡を取り合います。驚いたのは、遠くにいる人に「今、あの沢に生えてる大きいブナの木のところにいる」と、言えばどこにいるのかが伝わること。木1本にしても、どこにどんな木が生えているのか、みんなが理解して共通の目印にしていて。私からすると、どの木も全部一緒に見えていたのに、違う山を見ているんじゃないかと感じるほどでした。
マタギの精神性にも惹かれました。山に入るときは、必ずふもとにある山の神さまの祠(ほこら)に手を合わせ、安全を祈願します。獲物がとれたときは全員で供養を行ううえに、神さまに感謝をささげる儀式をするんです。自然とともに生きる様子は、現代の日本に生きる人たちが忘れている姿だなと思って。
何度も狩猟についていくうちに、ただ見ているだけでなく、一緒に狩りをして、マタギの精神性、自然との接し方、狩りなどを学びたいと思うようになりました。クマやウサギの狩りにもひんぱんに同行するようになってから3年くらい経ち、「仲間に入れてほしい」と、お願いしたんです。当時の私は修士課程に進学していたころです。

── 女人禁制の世界に足を踏み入れるとなると、反対されたのではないしょうか?
蛯原さん:不思議なことに、私が同行するとクマが獲れることが多かったんです。それで「女性が入っても大丈夫じゃないか?」という雰囲気が、マタギの方たちの間でもでき上がっていたんですね。
さらに、当時のマタギの親方が革新的な考え方を持っていました。「社会がどんどん変わっていくんだから、これからの時代はマタギになりたいという人がいたら、女性であっても入れていくべきではないか」と言ってくれて。マタギたちを集めて、私を仲間に入れるか相談した際は、ほかのみんなも私のことをよく知っていたので、「興味もあるみたいだし、ちゃんとついてこれるだけの体力もある。あいつだったらいいんじゃないか?」と、賛成してくれたそうです。その後、第一種銃猟免許を取得して、正式な仲間として狩りに出られることになりました。
私がマタギの仲間入りをすると聞いて、熊本に住む母は最初、猛反対をしていました。出身地である熊本だと、猟師は身近な存在ではありません。「あなたが鉄砲を持つ必要があるの?」と、さんざん言われました。でも、東北だとマタギってわりと身近な存在なんですよ。「マタギってあそこに住んでいるおじさんがそうなんでしょ」くらいの感覚で。時間をかけて説得するつもりでしたが、なかなか理解してもらえなくて。でも、離れて暮らしているし、成人もしているから、「どうしてもやりたいんだ」と突き進みました。親にはあきらめてもらった感じです。