まさか美大生がマタギになる世界線はどこにあるのか。蛯原紘子さん(40)は、美大を卒業後、山形県小国町役場で働くかたわら、マタギとしても活動しています。当初は女人禁制だった世界。どうやって、マタギになったのでしょうか。
美大で学ぶうちに野生動物に興味を持って
── 蛯原さんは山形県小国町役場に勤務しながら、マタギとしても活動をされています。マタギとは、主に東北地方において昔ながらの方法で、集団で狩猟を行う人たちのことですよね。蛯原さんの出身地は熊本県とのことですが、東北でマタギに興味を持ったきっかけを教えてもらえますか?
蛯原さん:最初はマタギよりも野生動物に興味がありました。私は日本画を学ぶため、山形県の美術大学に進学したんです。動物の絵をずっと描いていたのですが、なかなか野生動物を目にする機会がなくて。動物園などで飼育されている彼らは緊張感がないから、自然のなかで活動するリアルな様子を見たいと気になっていました。
大学3年生のときに、マタギ文化について研究している田口洋美先生の授業を、たまたま受けたんです。すると山のなかで見た動物の話をたくさんしてくれました。私が熱心に耳をかたむけるのを見て「そんなに野生動物を見たいんだったら、一緒に山に来るか?」と誘ってくれて。その場で「行きます!」と答えました。
先生は、現在でもマタギ文化の伝統が守られている小国町五味沢地区に連れて行ってくれました。でも最初は、狩りをするマタギの人たちと一緒には行動できなかったんです。

── それはなぜでしょうか?
蛯原さん:マタギは女人禁制の世界だったからです。古くから山の神さまは女の神と言われています。醜くて嫉妬深いため、人間の女性が山に入るとやきもちを焼き、災難を起こすと言い伝えられているんです。だから山に入る形式上、女の私が同行するのでなく、マタギたちが狩りに向かう最中に、たまたま大学の先生と学生(私)が居合わせて一緒に山に入ることになった、という形をとりました。