何も聞かずに学校を休ませてくれた母の存在

── それはつらかったですね…。学校には通えていたのでしょうか?
葉一さん:学校には行っていました。「ここで休んだら負けだ」と思って、休むのがすごく嫌だった。負けず嫌いの意地だけで通っていました。ただ、1か月に1~2回は学校にどうしても足が向かない。「ムリだ」という日があって、母親に「休んでいい?」と聞いて休むことがありました。当時の母親の対応にはいまでも感謝しているのですが、そこで理由も聞かずに休ませてくれたんですよ。
たぶん、母は、私が学校で嫌なことがあるというのは何となく気づいていたのではないでしょうか。母はパートで週に何日か働いていたのですが、僕が学校へ行きたくない日にパートが休みだったら「今日は一緒にごはん食べに行こうか」と誘ってくれるのが救いでした。
── 体に不調が出るようなことはありませんでしたか?
葉一さん:髪の毛がけっこう抜けました。3年生のあるとき、ふと前髪を触るとごっそり抜けていて。円形脱毛症ができていました。
── 何かストレス発散の場はあったのですか?たとえば部活など。
葉一さん:体操部に入っていたのですが、実は、僕の陰口は部活から始まったんですよ。当時は土日もぜんぶ部活があるような時代だったのですが、週末に父も母も仕事でいない日があると、僕が妹の面倒を見なくちゃいけなくて。そうすると「あいつサボってる」とか言われはじめて、体型に関することやほかの陰口もどんどん言われるようになったんです。
だから部活には全然打ち込めず、途中で辞めてしまいました。家でヘッドホンをつけて好きな歌を大音量で聞いて、外の世界をシャットダウンするのがいちばんのストレス発散でした。