漫画家の沖田×華さんは、子どものころに発達障害の一種である「学習障害(LD)」と「注意欠陥多動性障害(ADHD)」、さらに「アスペルガー症候群(現在の自閉スペクトラム症の一部)」の診断を受けました。「今は自分の特性と向き合いながら生活できている」と話す沖田さんに、発達障害をどのように受け入れていったのかを伺いました。
漫画家の活動が自身の特性に合致した

── 以前は看護師として勤めていた沖田さんですが、発達障害の特性から、マルチタスクをこなすことが困難になり、仕事を変えることを決意しました。その後、どのように漫画家の道に進んだのでしょうか。
沖田さん:「漫画を描いてみよう」と考えたのは、同じく漫画家として活動している彼、現在の夫からの助言がきっかけでした。
看護師の仕事を辞めてひまを持てあましていた私でしたが、ある日、彼から「4コマ漫画でも描いてみたら」と言われたんです。彼にしてみれば、本当に何げないひと言で「何かしたら?」という意味合いでかけてくれた言葉だったんだと思います。しかし、以前から趣味でイラストを描いていた私は、思いつくままに4コマ漫画を描いてみることに。
すると、描き上げた漫画を見た彼が、突然「お前、漫画家になれるよ。雑誌の新人賞に応募してみたら」と言ってくれて。それまで「漫画家になる」なんて、考えたこともなかったのですが、彼の言葉に押されて出版社の新人賞に応募してみたところ、「奨励賞」をいただくことができたんです。以降は、漫画家としての活動を始め、私の家族のことを描いた『蜃気楼家族』や、発達障害の日常を綴った『毎日やらかしてます。』シリーズなどを上梓してきました。
ちなみに、後で夫に「なぜ私が漫画家になれると思ったのか」を聞いたところ、私の絵は個性的で「誰が描いた絵か」わかるということ。そして「起承転結」を意識した展開で描けていたことから、「漫画家に向いている」と直感したと言っていました。
── すでに漫画家に必要な素質が備わっていたのですね。漫画家という仕事は、沖田さんの性格や特性に合っていると感じますか?
沖田さん:そうですね。ADHD(注意欠陥多動性障害)の特性で脳内が多動状態になっているからか、脈絡なくアイデアがどんどん湧き出てくるんです。そういう点では、漫画家などの創作活動は合っていたのかなと思います。
ただ、頭の中で次から次へとアイデアが浮かび続けるため、1日に2、3時間は仮眠をとるなどの「ぼんやりして過ごす」時間がないと、パンクしてしまいそうになります。30代後半のころ、漫画や取材の仕事が立て込んでいて、のんびりするどころか、睡眠も十分にとれなかったことがありました。するとある日、頭の中で「バン!」と燃料が爆発したかのような衝撃を感じ、途端にパニック状態に陥ってしまって…。体と脳の連結がとれなくなった感覚で、漫画を描くこともできなくなったうえに、感覚も極度に過敏になってしまいました。これまでは平気だったはずの、車の走行音や街灯の光などですら「耐えられない」という状態でした。
── 強いストレスで、精神的に限界に達してしまったということでしょうか。
沖田さん:そうですね。発達障害のある人に起こり得る、「メルトダウン」というパニック症状だったと後で知りました。
当時の私は、「ちゃんと自分の特性と向き合えている」と感じていて…。「発達障害を乗り越えた」という気持ちで、自身の体験を漫画にしていたんです。それなのに、突然メルトダウンの状態になってしまったことで、積み上げてきたものがすべて壊れてしまった気持ちに。「自分のことなのにコントロールができない」ということに、大きなショックを受けて「こんな私は、もう生きている意味がない」と強く思ったほどでした。
その後は、しばらく暗くて静かなところで過ごして、パニックが治まったころにメンタルクリニックに通院することにしました。睡眠薬とADHDの症状をやわらげる薬を処方してもらい、少しずつ日常を取り戻すことができました。
病院の先生からは「睡眠の質を改善したほうがいい」というアドバイスをもらっていたのでその後は、仕事量を調整して、しっかり睡眠時間を確保できるように意識しています。