看護師になってミスを連発「私は何かが違う…」

── 高校では衛生看護科のある学校に進み、卒業後に看護師として勤め始めたそうですね。仕事中は、発達障害における特性で困ったことや大変なことはありましたか?

 

沖田さん:母親が「手に職があれば一生安心だから」と、看護師の職を勧めてくれたこともあり、高校は准看護師の資格が取れる高校に進学しました。卒業後は4年くらい、正看護師になるための専門学校に通いながら小児科医院に勤めていましたが、その後、正看護師として大きな総合病院に転職して働き出した途端に、困りごとが増え始めて…。接する患者さんの数が多く、仕事のタスクも急増したため、ミスを連発。発達障害の特性上、集中力が持続しにくく、記憶力にもムラがあるため、新しいやり方を教えてもらっても全然頭に入りません。そのうえ、患者さんの顔も覚えられず、名前も間違えてしまう始末で…。

 

── 職場の環境や仕事内容が変わったときに、特性上の苦手が強く表れたのですね。

 

沖田さん:そうですね。仕事のできない私に対して、同期からの風当たりも強くなり「あなたは本当に役に立たない、死んでしまえ」と言われたこともありました。

 

しかし、どん底まで落ち込んだことで「親の言うとおりに看護師になったのに、なぜ私は幸せになれないの?」と、現状を俯瞰して見ることができて。「私にはマルチタスクはこなせない。看護師は向いていない」と仕事を辞める決断ができたんです。

 

── 仕事を辞めようと考えたときには、ご自身の特性を自覚できていたのでしょうか。

 

沖田さん:このときもまだ、自分の特性については自覚できていませんでした。でも、看護師として壊滅的に仕事ができない自分に直面したことで、「自分は、ほかの人とは何かが違う」と感じ始めていました。「ほかの人が持っているものが、私の頭の中にはない。ほかの人と同じようにしたいけれど、生まれつき持っていないものは埋めようがないんだな」という気持ちです。

 

その瞬間は、絶望に近い感覚でしたが、結果的には、新しい人生を歩むための決意につなげることができました。また、親の希望でもあった看護師の職から離れたことで、「親の存在」を気にせずに、自分の人生を見つめることができるようになったとも感じています。

 

 

看護師を辞めた沖田さんは、パートナーからの勧めもあり漫画家に転身。同じ発達障害の人との交流をきっかけに、自身の特性とも少しずつ向き合えるように。現在は、心と体のバランスを保ちながら漫画家としての日常を送っています。


取材・文/佐藤有香 写真提供/沖田×華