「公園の木」が友だちがわりだった

── 小学生時代、友だちとの関係もうまくいかなかったそうですが、どのような点に苦手を感じていましたか?
沖田さん:私がアスペルガー症候群だと診断されたのは、中学生になってからでしたが、小学生時代も、コミュニケーションや社会性への苦手意識があったのだと思います。そのため、同級生との交流がうまくいかず、いつも避けられていました。そもそも、「友だち」とはどういう相手を指すのか、何をしたら「友だちと遊んだ」と言えるのか、当時の私には想像することができなくて…。
それでも最初のころは、私なりに「友だち」について学ぼうと努力していました。ある日、テレビアニメで友だちと一緒に家でお菓子を食べているシーンが流れました。それを見た私は「自分の家に来てもらって、一緒にお菓子を食べた相手が『友だち』なんだ!」と認識。さっそくクラスメイトを家に招くことにしたのですが、家でお菓子を食べる以外に何をしたらいいかわかりません。何もせずに時間だけが過ぎていき、結局、クラスメイトは「つまんないから帰るね」と帰ってしまいました。反対に、クラスメイトの家に何人かで遊びに行ったこともありましたが、みんなの輪の中に入ることができず、ひとりでぽつんと絵本を読んで過ごしていることが多かったです。
── クラスメイトとの関わり方や、対話の仕方に苦手を感じていたのですね。
沖田さん:当時の私は、人との関わり方に「苦手だな」と悩んではいませんでした。でも、うまく関係を築けなかったのはたしかです。そうこうしているうちに、みんなが私を避けたり、仲間はずれにするようになっていきました。でも「仲間はずれにされている」という自覚はなく、友だちがいないことに対しても、「寂しい」と感じたことはありませんでした。
私が通っていた学校の近くには海があって、海岸で拾ったシーグラスに名前をつけて遊び相手にしていました。公園の木も友だちがわりで、しょっちゅう話しかけていました。
── 理解者がいなくても、沖田さんならではの楽しみ方を見つけながら、学校に通い続けていたことにたくましさを感じます。
沖田さん:今思えば、ひとりで木に話しかけている様子は、ちょっと怖い光景でしたけどね…(笑)。小学生の私は、「自分のどこが、ほかの子と違うのか」がわからないまま過ごしていました。それでも毎日を「自分らしく」過ごしていたことだけはたしかなこと。
先生や親から毎日怒られて「嫌だな」と思うことはたくさんありましたが、「つらい」という気持ちを引きずり続けることはありませんでしたし、「学校は毎日通うもの」だと認識していたので、どんな状況でも休まずに学校に通い続けました。自分の「好き」や「こうしたい」という欲求を強く持っていたからこそ、ひとりのときでも楽しむことができていたのかもしれません。私なりにたくましく過ごしていたんだなと、当時の自分を褒めてあげたい気持ちです。
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その特性について、誰にも理解してもらえないまま大人になった沖田さん。中学卒業後は、衛生看護科のある高校に進学し、看護師として働き始めましたが、職場でも特性が壁となって苦しむことに。しかし、仕事上でミスを連発し、どん底を味わったことで「自分にはマルチタスクの仕事は向いていない」ということを自覚。「自分は他の人とは何かが違う」と、特性に目を向けるきっかけに繋がったそうです。
取材・文/佐藤有香 写真提供/沖田×華