佐田は「最初ちょっと苦手だった」

── 相方の佐田さんとは、同じ暴走族だったんですよね?

 

清人さん:高校で同じクラスでした。最初、佐田は違う暴走族に入っていたんですが、僕が属していた「福岡連合」という暴走族のトップがものすごく強くて、周囲の暴走族をどんどん吸収していくなかで、佐田も「福岡連合」に入ってきて、集会でも会うようになったんです。

 

── 佐田さんとは最初から気が合ったんですか?

 

清人さん:最初はちょっと苦手だったんです。佐田は元気がいいし目立っていて、なぜかすごく僕にしゃべりかけてくるんですよ。でも僕は、根が大人しいし、暴走族気質じゃないからノリが違うなって。でも、気づいたら仲よくなっていて、家に泊まりに行ったりしていました。高校では、売店で争奪戦になる唐揚げとツナパンを買うために、授業終了のチャイムが鳴る前から教室を出て、走って売店へ向かって2人で競争していました。

 

── 仲がいいですね。当時から清人さんはお笑い芸人を目指していたのですか?

 

清人さん:僕は、テレビのバラエティ番組を見ることが唯一の娯楽でしたし、目が不自由なばあちゃんのために『暴れん坊将軍』などの時代劇を、アドリブ交えて副音声で解説してあげて笑わせるなどしていました。学校でも、学期ごとに発表されるクラスの「おもしろい人ランキング」で僕が1位を常にキープしていましたし、そのうちお笑い芸人になりたいと思うようになっていました。

暴走族仲間とコンビを組んでコンテストで優勝も

── 芸人になったのは何歳のときですか?

 

清人さん:僕が通っていた福岡第一高校には「パラマ塾」といって、プロの講師から芸能分野のレッスンが受けられる講座がありました。お笑い芸人に憧れがあった僕は、暴走族やりながら密かにそこに通っていました。リーゼントっぽい髪型でイキがってるのに、お笑いがどうしてもやりたくて休まず通っていたんですけど、そこはどうも歌手やタレント寄りの講座だったんですよね。

 

ある日、顧問の岡野先生に「お前ずっと来てるけど、何がやりたいん?」と聞かれて、お笑いやりたいと答えたんです。そしたら漫才のネタ見せてみろと言われたので、幼なじみで暴走族仲間でもあった友達を無理やり誘ってコンビを組み、漫才を披露したんですよ。そしたらものすごく笑ってくれて「授業に出なくていいからもっとネタをつくれ」と言われました。いま考えると自由な先生ですけど、僕はすごくよくしてもらいました。そして大会に出るよう勧められ、福岡吉本主催のコンテストに出場したところ、優勝したんです。

 

── そのときは佐田さんとのコンビではなかったんですね。でも、いきなり優勝はすごい!

 

清人さん:それで後日、福岡吉本の事務所に呼ばれて、今度はテレビ放映もあるコンテストで漫才を披露しないかと言われたんですけど、幼なじみはもっと暴走族として不良らしくやっていきたいタイプだったのでコンテストに出るのを断られ、そのコンビではもうお笑いができなくなりました。

 

その後、僕は暴走族のイザコザに巻き込まれて高校を辞めることになり働き始めたのですが、お笑いへの憧れが捨てきれず、芸能オーディションに応募したこともありました。一次審査は通ったものの、周囲はアイドル目指す人ばかりだったのでそこへ行くのは辞めて…どうやったらお笑いにたどり着けるか模索する日々でした。