恩師のひと言でバッドボーイズを結成し

バットボーイズ
高校時代の恩師のおかげでバッドボーイズが誕生

── 働きながら、どうにかお笑い芸人になれないかと模索していたのですね。

 

清人さん:そんなとき、佐田から電話がかかってきたんです。高校で進路相談の際に「俳優になりたい」と言ったら、僕がお世話になっていた芸能講座顧問の岡野先生から、清人はどうしているのかと聞かれたらしくて。そして先生から「あいつおもろいから、清人とコンビ組んで漫才やったら?お笑いの人で俳優やってる人もおるやろ?」と言われたそうで、電話をくれたんです。じゃあコンビを組もうとなり、そこから僕は仕事終わり、佐田は高校終わりに駅で待ち合わせて、ネタをつくって漫才の練習をするようになりました。

 

── その先生のひと言で「バッドボーイズ」が結成されたんですね。

 

清人さん:そうなんです。そして漫才の練習を重ねたころに「東京ドーム漫才決戦」という吉本興業主催のお笑いコンテストがあることを知りました。締め切りは過ぎていたものの岡野先生の紹介で飛び入り参加がOKになり、福岡予選に参加しました。幸い予選を通過し、東京ドームで漫才ができたんですよ。それを見た福岡吉本の所長が、うちに来なさいと言ってくれて、佐田の高校卒業を待って正式に漫才師となりました。

 

── デビュー後はどんな生活でしたか?

 

清人さん:全然トントン拍子ではなかったですけど、21歳のころには福岡で出演番組が2本あったので、早く売れたほうかもしれないですね。24歳になるころに東京へ。またオーディションから始まるわけです。どんどん勝ち上がらないと劇場での出番がないのですが、1年経ったころからけっこう出られるようになりました。

 

26歳のとき、TBSで木梨憲武さんMCの『ゲンセキ』というお笑いオーディション番組が始まりました。内容は、半年かけて勝ち残ったコンビ数組でコント番組を持つことができるというものです。そこでハリセンボンやオリエンタルラジオらと一緒に僕らも勝ち残って、東京で初のレギュラー番組がスタートしました。でもあっさり半年で終わってしまい、その後レギュラーが何もない時期もありましたが、29歳のときにAKB48のバラエティ番組『AKBINGO!』のMCが決まりました。

 

こうして年齢で振り返ると20代でちゃんとテレビや劇場に出られていたのでラッキーだったかもしれないです。

 

 

上京後、同じ福岡出身の奥さんと出会い、結婚した清人さん。現在は2人のお子さんがいるパパです。奥さんとはつき合って1か月でお互いの親に会うことに。ただ、清人さんが上京してからの郷里の父親の生活はとても貧しく、恐ろしく汚い掘立て小屋に奥さんを招くことに。料理も、見たこともないような深海魚を煮込んだものが出されたようですが、それでも率先して箸を口にし「うまい」と嘘でも言ってくれた奥さんの姿に「この人なら結婚して大丈夫」だと思ったそうです。
          
 

取材・文/富田夏子 写真提供/清人