お笑いコンビ・バッドボーイズの清人(きよと)さん。相方の佐田さんとは高校の同級生であり、暴走族仲間でした。母親がおらず、目の不自由なおばあちゃんに育てられ、友達との遊びをあと回しにして家の手伝いをするやさしい清人さんが、なぜ暴走族に入ったのかというと── 。

暴走族の集会を抜けて「ゴミ出し」に

清人
ヤマハXJRに乗ってピースサインをする清人さん

── 小さいころから母親がおらず、目の不自由なおばあちゃんに育てられた清人さん。父親とその兄弟含めて5人、福岡の港町で7畳1間のすきま風吹く家に暮らしていたそうですね。おばちゃんの手伝いが毎日あり、「やさしいきよちゃん」として周囲の大人に気をつかって過ごした部分があったと思いますが、高校生時代に暴走族に入ったのは反抗心が芽生えたからでしょうか?

 

清人さん:どちらかというと、暴走族に入ったのも気づかいからかもしれないです。ざっくり言うと、1990年代当時の福岡って、東京より10年ぐらい遅れてるイメージ。まだ不良文化が根ざしているから、学校ではスポーツが得意な人、勉強ができる人、ヤンキー、だいたい3つのカテゴリーにわかれていました。そのなかで僕は、別にスポーツができるわけでもなく、勉強ができるわけでもなく、ヤンキーでもない中途半端な状態で、学生生活をどうやって送っていったらいいのかな、という漠然とした焦りがありました。

 

そんな学生時代、ばあちゃんがたまに小銭貯金から小づかいをくれるので、晩ごはんの後にカップヌードルを買いに行って食べるのがすごく楽しみだったんです。田舎なのでコンビニはなく、自動販売機まで買いに行くんですが、その自動販売機の周りに暴走族の先輩が集まっているんですよ。狭い町なので顔見知りの先輩が何人かいて、「また会ったね」「夜遅く出歩いてるね」などと声をかけられました。そのうち仲がいい友達が何人か暴走族に入っていって、誘われるまま僕も暴走族に入ることに。仲がいい先輩や友達グループが暴走族だった、というだけなので、グレたつもりもないんです。だって僕、暴走族の集会中、夜中12時にゴミ出しのためにいったん家に帰ってましたからね。

 

── 暴走族に入っても家の手伝いは続けていたんですね。

 

清人さん:僕が住んでいたところはゴミ収集がなぜか夜中だったのですが、目が不自由なばあちゃんの代わりに僕がゴミ出しをしていたんです。最初は、これから盛り上がるぞ、という集会を途中で抜けるのは勇気がいりましたけど、家の事情を話したら「行ってこいよ」という感じで。そのうち僕がゴミ出しを忘れていると「お前、そろそろゴミ出しの時間やぞ」と周りから言われて、バイクで家に引き返すこともありました。

 

── 反抗心やグレたくて暴走族に入ったわけじゃなかったんですね。

 

清人さん:バイクも盗んだりはしたくなくて、親父の名義でローンを組んでもらい、バイト代からちゃんと返していました。 免許もきちんと教習所で取りましたし。バイクで走っているときに赤信号でいちいち止まっていたら、先輩に「お前のせいでリズムが狂う」と怒られたりもしましたが、信号無視はしないようにしていました。だから本当は暴走族に向いてなかったんですよ。でもどこかに属さないと学校生活生き残れないから、卒業したら引退できる、くらいの気持ちでやっていました。