学校帰りに母から毎日電話がかかってくるように
── その日を境に何か変化はあったのですか?
清人さん:どういう約束かわからないですけど、家に母親から電話がかかってくるようになったんです。夕方、学校から帰ってくるころに電話がかかってきて、僕が出ると「お母ちゃんよ。元気?」という程度のやりとりなんですけど、毎日かかってくるようになって。それが楽しみで学校から急いで帰るんですけど、当時は僕が目の不自由なばあちゃんをスーパーや病院に連れて行くのが日課だったので、電話のせいでばあちゃんと出かけるのが遅れてしまうと微妙な空気になるんですよ。だから気をつかいながら早めに電話をきっていました。
── 実際にお母さんと会う機会はあったのですか?
清人さん:一度「今度泊まりに行くから一緒に寝ようね」と言われてめちゃくちゃワクワクしたことがあるんですけど、それを聞いたばあちゃんや、同居している親父の兄弟の機嫌がすごく悪くなって家の中が険悪なムードに。母は近くまで来たみたいなんですけど、親父が家に入るのは無理だと言ったのか、帰っていきました。僕は柱の陰からチラッと母を見たと思うんですけど、そのときの記憶はおぼろげなんです。
── 清人さんを育てたおばあちゃんやおじさんたちにとっては、複雑な感情があったんでしょうね。
清人さん:夕方の電話も、ある日を境にかかってこなくなったんです。親父の兄で、酔っぱらうと暴れる荒くれもののマサおっちゃんが電話に出てしまい、気づいたら母親のことを口汚くののしっていて…。当時は母からの電話がものすごく楽しみだったので、長く続いた気がしていましたが、実際には1か月も続いていなかったと思います。
── 大人になってからもお母さんの所在はわからなかったのですか?
清人さん:芸人になってから、福岡の市役所なども訪ねて母親の所在を探したのですがわかりませんでした。芸人の先輩がつき合ってくれていろいろと探してもらったのですが、どこにいるか見つからず…。再会するなら早いほうがよかったので、母親探しは20歳を区切りにしようと決めていました。でも20歳になっても見つかりませんでした。芸人を続けて売れればテレビで元気な姿を見てもらえるし、いつか会えるかもしれないと気持ちを切り替えて、それ以降は探すのをやめました。