物心ついたころから「母親は亡くなった」と聞かされていた、お笑いコンビ・バッドボーイズの清人(きよと)さん。小学3年生のある日、父親から「実はお母さんは生きている」と聞かされます。その後、芸人になって28年ぶりの再会を果たしますが、感動的な場面とはならなかったようで…。
亡くなった母親が生きている妄想はしていたけど…

── 福岡で育った幼少期は、目の不自由なおばあちゃんが母親がわり。父親と2人のおじと共にすきま風吹く7畳1間に5人暮らしをしていた清人さん。母親のことは「清人さんを産んですぐに亡くなった」と聞かされていたのに、後に生きていたとわかったそうですね。
清人さん:その話を聞いたのは、小学校3年生のときです。ある日親父が「今日は晩ごはん外で食べようか」と言ってきました。当時は不法投棄のごみが捨てられてしまうようなボロボロの家に住んでいて、貧乏だから外食なんてめったにできないはず。それなのに「外食しよう」なんて、その時点で「何の話をされるんだろう」と怪しんでいました。
── 身構えてしまいますよね。
清人さん:そうなんです。親父に食堂に連れて行かれ、そこで人生初のオムライスを食べたのですが、普段ばあちゃんの料理しか食べていない僕にとってはオムレツもケチャップも濃厚で、ふた口くらいで胸やけしたのを覚えています。そのときに親父が「母親がいなくて不自由と思ったことあるか?」と聞いてきて、今まで母親がいなくて寂しいとは一度も言ったことはなかったんですけど、その日は素直に話す気になり、参観日の話をしました。うちは参観日にばあちゃんが来るんですが、ほかの子はみんな母親だから目立つし、やっぱりクラスがざわつくんです。「そのときはちょっと、母ちゃんがいればいいな、と思った」と伝えました。
── 寂しかった気持ちを伝えることができたんですね。
清人さん:そしたら「実は母ちゃんは生きてる」と言われたんです。母ちゃんが生きてる妄想をしたことはあったけれど、実際にそうだとわかると衝撃でした。父ちゃんと母ちゃんは、ケンカするようになって別れたと説明されました。ケンカの理由は僕にわかるように「テレビのチャンネルで、俺はこれを見たいのに、母ちゃんは別のが見たくてケンカになるようなもんや」と言っていました。続けて「母ちゃんはかわいそうや。俺がお前を奪ったみたいなもんやから。ここまで一緒に過ごせたから、あとはお前の自由にしていい。お母ちゃんのところへ行ってもいい」と突然告げられたんです。でも僕には、顔も見たことない母ちゃんと住むという選択肢はないわけです。目が不自由なのに僕をここまで育ててくれたばあちゃんを置いても行けないし。
でも、母ちゃんが生きていたという事実はうれしくて、テンションが上がりました。テンション上がりつつ、ばあちゃんにバレたらいけない、という気持ちもあるわけです。普段の言動から、ばあちゃんが母のことをよく思っていないだろうことはわかっていたので、うれしさを隠しながら早めに布団に入りました。すると夜中に、襖の向こうで親父とばあちゃんのやりとりがもれ聞こえてきて。ばあちゃんは「なんで(母親のこと)言ったの?」とブチ切れていて、親父が「清人はいい子に育ったから大丈夫や」というようなことを答えていました。