善意の言葉が苦しみに変わった瞬間

── その1年後、2度目の妊娠も流産になったということでした。

 

菅さん:2度目のときは、赤ちゃんの心拍が確認できたんです。とてもかわいい姿でした。でもその次の受診で心拍がなくなっていると告げられました。先生に「どうして2回も続けてこんなことになるんでしょうか?」と聞くと、「2回の流産は、よくあることだからね」と軽く言われて…。妊婦さんでいっぱいの待合室で大泣きしてしまったのを覚えています。

 

その後、「手術の日を決めます」と呼ばれた部屋では、すぐ隣でお腹の大きな妊婦さんが体重を計っていたり、別の妊婦さんが「胎動がね~」とすごくうれしそうに助産師さんと話していたりして、肩身が狭いというか、すごくみじめな気持ちになってしまいました。「なんで私だけこうなんだろう…」って。

 

── 胸が締めつけられます。

 

菅さん:そのとき、担当の助産師さんから「赤ちゃんが決めたことだからね」という声をかけられたんです。

 

── それは「あなたのせいではない」のような、励ましの言葉だったのでしょうか…?

 

菅さん:今思うとその助産師さんなりの優しさだったんでしょうね。でもそのときはそう受け止められず、「『赤ちゃんが決めたこと』って、どういうことなんだろう…」と思いました。「赤ちゃんが私の元に生まれてきたくなかったの?」とか「お母さんとして選ばれなかったの?」とか、いろんな考えが頭をめぐり、その後も結構長い間、その言葉の解釈で苦しみました。

 

つらい気持ちのまま手術を受けましたが、手術直後、シルバーのトレイに小さな赤ちゃんが乗せられていたのを見たんです。それを本当に一瞬チラッとだけ見せてくれたんですけど、すぐにどこかへ連れて行かれてしまって。「私の赤ちゃん、どこへ行っちゃったんだろう…」と、その光景が脳裏に焼きついて離れませんでした。冷たくて硬いところに無造作に置かれたのを見て、「ひとつの命として扱われないんだな…」と感じてしまったことも、悲しさに追い打ちをかけました。

「次、流産したらでいいんじゃない?」と告げられ

── 流産が2回続くと「何か原因があるのでは?」と考えてしまいますよね。

 

菅さん:まだスマホのない時代で今よりも情報が少ないなかで「不育症」という言葉にたどり着きました。自分で必死に調べて「検査をしたい」と病院で相談しましたが、当時は「3回流産したら検査」という定義があったみたいで、先生は「次、流産したらでいいんじゃない?」と。先生自体も不育症の知識があまりなく、愕然としました。

 

── 菅さんとしては次に備えたいという気持ちがあったのですよね。

 

菅さん:先生からしたら「よくあること」だったんでしょうし、それが当時はマニュアル通りの対応だったのかもしれません。でも、次も流産になりたくないから検査について聞いているのに親身になってもらえず、すごく憤りを感じて。「もうこの病院はやめよう」と思いました。

 

その後、自分で不育症の専門医を探して検査を受けたのですが、やっとわかってもらえるいい先生と巡り合うことができて。その主治医の先生には心身ともに本当に助けられ、苦しい時期を支えていただきました。不育症自体、はっきりとした原因がわからない人が約6割もいるそうなんですが、私もそのひとりでした。それでも、できる治療をしていただきながら翌年3度目の妊娠をしました。自分なりに体調も整えて前向きに頑張ったつもりでしたが、それでもやっぱり赤ちゃんを抱くことはできませんでした。希望も未来も失い、本当に言葉では言い表せない絶望感しかなくて…。

 

──「これだけ頑張っているのに…」という気持ちになりますよね。

 

菅さん:3度目の流産のときは、感情が麻痺してしまう状態でした。涙が全然出なかったんです。先生の前でも「はい、はい」と淡々と返事をして、何の感情もない無の状態が続きました。

 

── つらい気持ちから身を守るために感情を封じ込める、というような感じでしょうか?

 

菅さん:それが自分を守る術だったのかもしれませんね。それに、1度目と2度目のときと違って、3度目は自宅で赤ちゃんを出産したことも感情を麻痺させてしまった原因だと思います。週数もいっていたこともあり、夜中にお腹が痛くなってしまって…。

 

病院では毎回、流産宣告のたびに「もし自宅でお腹が痛くなって、(赤ちゃんが)出てきちゃったら持ってきてね」とさらりと言われるんです。「どこで、どうしたらいいか」という具体的な手順は特に説明は受けたことがありませんでした。なので実際に直面したときに、パニックになってしまったのと、陣痛もあったし大量の出血をしながら、ひとりで小さな「お産」をしなければならない衝撃と、そのあとみずから赤ちゃんを救わなければいけない精神的な負担は、言葉では表現しきれないくらい今でも思い出すと胸が締めつけられます。