ブロードウェイで舞台を支えた華やかなキャリアを持つ菅美紀さん。36歳で授かった双子を流産し、それからも合わせて3度の流産を繰り返します。「よくあることだから」という医師の言葉に傷つき、長い時間が経っても亡き子を思う悲しみは消えず続きました。(全2回中の1回)

 

※この記事には、流産に関する詳細な記述が含まれています。ご覧になる際はご注意ください。  

「赤ちゃん、育ってないですね」

菅美紀
流産を経験した当事者として、現在は自助サポートグループ「ANGEL's HEART」を主宰している菅さん

── 菅さんはニューヨークのブロードウェイで働いていたという、珍しい経歴を持ってらっしゃるそうですね。

 

菅さん:昔から舞台が好きで、ニューヨークの大学でシアターマネジメントを学んでいました。ところが卒業後は就職先がなかなか見つからなくて、現地にある日本の航空会社でグランドスタッフとして働いていたんです。3年が経ったころ、上司が「ブロードウェイのプロデューサーが、日本人スタッフを探しているみたいだよ。そういう仕事、やりたかったんだよね?」と転職先を紹介してくれたんです。

 

── 勤務先の上司が転職先を紹介してくれたんですか?

 

菅さん:「せっかくアメリカにいるんだから、好きなことをやったほうがいい」とあと押ししてくれました。仕事は、日本の舞台のニューヨーク公演をコーディネーションするもので、プロデューサーのアシスタントとして出演者や舞台関係者との調整や契約に関わる業務、通訳など、忙しかったですが、とてもやりがいがありました。

 

── ニューヨークで7年ほど働いたあとに、ビザの関係で日本に帰国。日本でもキャリアを積んだあと結婚し、2011年に双子の赤ちゃんを妊娠します。

 

菅さん:初めての妊娠で喜び、7週目に産院に行ったところ、双子を妊娠していることがわかりました。でも先生から「赤ちゃん、育ってないですね」と告げられたんです。

 

そのときは初めての妊娠だったということもあり、先生の言葉の意味がよくわからなかったんです。「赤ちゃんが育っていないって、どういうことなのかな?」とか「これから育つのかな?」という考えが一瞬よぎりました。でも先生からは「流産になるので、手術の日を決めていってね」と言われて。本当に淡々と風邪の診察みたいな感じで終わってしまったんです。

 

── 心が追いつかないですよね。

 

菅さん:とにかく頭が真っ白になり「あぁ、はい…」という感じで診察室を出て、手術の日を決めました。それまでは「妊娠したら、普通に産めるだろう」と思っていたので目の前が真っ暗になり、「浅はかだった自分がすごく恥ずかしい」と感じました。自分の身体なのに、妊娠についての知識があまりにもないっていうことに気づいた瞬間でした。この日を境に、今まで生きてきた世界が一変したような、自分の価値観や人生そのものが変わってしまったような気がしました。

 

── 手術日までどのように過ごしていましたか?

 

菅さん:「赤ちゃんが育っていない」ということがどういう状況かわからず、「本当にこのまま手術を受けていいのだろうか」と、別の病院にセカンドオピニオンを聞きに行ったんです。すると先生が医学書の写真を見せながら「本当だったらこのぐらい育っていなきゃいけないけれど、今のあなたの状況はこうです」「できるだけ早く手術をして、次の妊娠に向けて体を整えることが大事ですよ」とていねいに説明してくれて。そこでやっと決心ができました。