「ダンソン」で人気を博したバンビーノ・石山タオルさんは、ブレイク当初から「アキレス腱が限界です」と医師に忠告を受けていたそうです。そしてついに昨年、舞台上でふくらはぎに異変が起きました。踊れなくなった石山さんのピンチを助けてくれたダンソンキッズの意外な正体とは ──。(全4回中の4回)

ブレイクから10年「ダンソン」のしすぎで体に異変

── 昨年、石山さんはインスタグラムに「ダンソンのやりすぎでふくらはぎのフィーザ筋が切れた」と投稿されていました。ブレイクから約10年が経ち、体に限界が来ていたんでしょうか?

 

石山さん:実はお医者さんからは、ブレイクした2015年の時点で「ジャンプする仕事ですか?アキレス腱が限界です」と言われていました。「古びたゴムみたいです。このままだとアキレス腱が切れるからダメです」という指摘も受けたので、2016年と2017年は「ダンソン」のペースを少し落としたりもしてたんです。

 

でも、その後コロナ禍になって、舞台がゼロになってしまったり僕自身も罹患してしまったりして。コロナ禍が落ち着いたときに久しぶりに「ダンソン」をやったら、ものすごく盛り上がったことで、やっぱり喜んでくれるお客さんがいる限りやっていこうというマインドになっていきました。

 

石山タオル
コロナ禍の石山さん

去年、幕張で出番があったときに「今日は土曜日だから子どもがたくさんいて満員です」と聞いたんです。久しぶりにフルコスチュームに身を包んで出演したら、みんながめちゃくちゃ手拍子を叩いてくれていて。うれしくなって勢いよく「ダンソン、フィーザ…」とネタを始めた直後に「ブチッ」という音が聞こえました。「すいません!足つりました」と、とっさに嘘をついたんですけど、開始2分でもう動けなくなってしまったんです。

 

椅子に座りながら「誰か僕の代わりに踊れる人~!?」って観客席に声をかけたら、出てきたダンソンキッズが藤田の次男やったんです(笑)。お客さんみんなは「誰の子なんやろう」と思いながら見てたと思うんですけど、僕と藤田だけは「あ、こいつ出てきた。助けに来てくれた」とすぐにわかって(笑)。次男が踊ってお父さんを捕まえるという形で、なんとかネタをやりきることができました。そのまますぐ病院に行ったところ、「肉離れ」という診断で2週間、絶対安静になりました。ネタのセリフの途中で肉離れを起こしたので、インスタには「ふくらはぎのフィーザ筋」と投稿しました。車いすを出されるのは、高校のときにサッカーで大ケガをして以来2度目です。

 

── お仕事はお休みされたんですか?

 

石山さん:いや、ほとんど休みませんでした。そのあとに「ダンソンさんの大冒険」という子ども向けライブを控えていて、その日までには絶対に少しでも踊れる状態にしとかないとあかんと思ったんです。松葉杖や車いすを使うと回復が遅くなるので、ギブスを巻いた状態で左足だけでジャンプしたり、藤田に踊ってもらったりしながら舞台に出ました。同時進行で、足を冷やしたり温めたり電流を流したりとリハビリも続けました。無事にライブを終えて以降は、肉離れにいい施術をしてくれる接骨院を紹介してもらって、今も月に2回は通院するようにしています。

 

石山タオル
病院では「肉離れ」という診断を受けた

── 肉離れの少し前には、高円寺の街中で倒れたこともあったとか。

 

石山さん:そうなんです。前厄だったからか、ほんまに立て続けでしたね。僕の管理不足なんですけど、このときは脱水症状でした。自転車に乗ってたら急にボーッとしてきて、「あれ?これ、やばいかも」と思って横断歩道の横の脇に座ったんですけど、全然回復しなくて。ここで倒れたら通行の邪魔だと思って住宅街の端に寄ったあと、倒れちゃったんですよ。

 

手が痺れて足がけいれんして、自販機が視界に入っているものの、もう身体が動かず。「誰か助けてくれへんかな」と思いながら倒れてたんですけど、高円寺は朝から飲んでる人が多いからか、みんな通りすぎていくんですよね。そんななか、ひとりのお母さんが自転車で通り過ぎたにも関わらず戻ってきて「あ、これダメなやつじゃない?」と話しかけてくれて。僕が小さい声で「水、水」と言っていたらしく、自販機で水を3、4本買って脇や太ももにパンパーンと入れてくれて、水も飲ませてくれて。「ほんとに大丈夫?救急車でしょ」と言ってくれたんですけど、僕もつい「大丈夫です」と返答したんです。

 

「じゃあ私、今から買い物に行くんだけど、買い物から帰って来たときにまだ倒れてたら救急車呼ぶよ」と言って、コンビニで大きい氷を買ってきて、枕みたいに頭の下に入れてくれてからその場を去って行って。助けていただいたおかげでなんとか回復して、フラフラしながら歩いて帰りました。

 

── 回復後、その恩人の方に会うことができたんですよね。

 

石山さん:はい。病院で点滴を打ってもらって回復したあと、お代も払えてないし名前も聞けてないなと思って、SNSに「思い当たる方がいたらご連絡ください」と書いて、探したんです。すると、助けてくれた方と同じ職場の方から「もしかしたらうちの上司かもしれません。同じような話をしています。ただ、バンビーノの人だとはわかっていなかったみたいです」とDMをいただいて。「会わせてください。お礼だけさせてください」とお願いして、会うことになったんです。

 

後日、DMをくれた方と恩人の方とお会いできて。「あー、元気でよかったー!」と言ってくれたのでお礼に菓子折りを渡したら、向こうも手紙とお守りをくれて。手紙には「私のおじいちゃんが、石山さんと同じ愛媛県の大洲市出身だから、『この子を助けないといけない』と言ってくれたのではないかと思う」というような内容を書いてくださっていました。しかも、その方がかつて通っていた小学校は今、僕の息子たちが通っている小学校でもあったんです。ご縁を感じて「招待するので、舞台とか観に来てください」とお願いしたら「お金払ってちゃんと見に行きます」と言ってくれて。最後の最後まで、本当に優しい方でした。