週に3万円を渡されて

──「どうして僕を残して?」と思うことはありましたか?
フジタさん:たぶん、当時は思ったとは思います。父は週1回ほど帰ってきては、生活費としてお金をおいていきました。週に3万円だったので、月に12万円。それ以外も、おこづかいはちょこちょこくれていました。
もらったお金の大半は食費とゲームに使ってましたね。食事は、昼は給食が出るので、夜に近所のそば屋さんで出前をとったり、コンビニで済ませたりして。だから食費よりもゲームに使うお金のほうが多かったかな。ゲームソフトを買ったり、ゲーセンに行ったりして、毎月もらったお金は使いきっていました。ゲームで寂しさを紛らわせていたんでしょうね。
ただ寂しかったのは小学校の中学年くらいまでで、高学年になるころにはひとりのほうが気軽に感じるようになるんですよ。たまに父が来ると、早く帰らないかなって思うくらいで。
── 食事やゲーム以外の日常生活は成り立ちましたか?
フジタさん:お風呂もひとりで入っていました。掃除はほとんどしなかったけど、洗濯は父と兄が帰ってきたときにやってくれてたのかな。
── 学校はいかがでしたか?
フジタさん:毎日行ってました。そのへんは真面目なんですよ。友達がいて楽しかったし。でも、嫌だったのは小学1年生のとき。先生は僕に母親がいないことを知っていたので、入学早々、僕を呼び出して、みんなの前で「フジタくんはお母さんがいないから、みんな仲良くしてあげて」って言われたんです。すごく恥ずかしかったし、今思うととんでもない学校だったなと思います。
── 学校の先生はフジタさんの家の事情についてどこまで知っていたのでしょうか。
フジタさん:小学1年生のときは母がいないことを知ってる感じ。小学2年生になって、父が内縁の妻の家に住み始めると、「お前の親父がうちにいる」ってKくんが言いふらしていたので、僕がひとりで家にいることは先生もわかっていたと思うんです。けれど、誰も何も言ってこなかったですね。先生も家庭のことにあんまり関わりたくなかったんじゃないですかね。
── 当時、Kくんと内縁の妻に対してどう思っていましたか?
フジタさん:「Kくんが消えてくれたら…」ってずっと思っていたし、今でもそう思ってます。たとえばKくんとケンカになると、父は僕だけ一方的に殴るんです。いまだに理解できないけど、僕を殴ることで、父は僕よりKくんをかわいがってるっていうふうに内縁の妻にアピールしたかったらしいです。
あと、小学生のころに父と内縁の妻、Kくんと僕の4人で北海道に20泊の旅行をしたことがありました。内縁の妻が旅行好きみたいで。東京から車で北海道に行ったんですが、途中で僕だけ車から降ろされそうになったんです。車の中で騒いでうるさいって。でも、僕ひとりで騒ぐわけないじゃないですか。Kくんと2人でしゃべっていたのに、怒られるのは決まって僕だけ。どうにか謝って許してもらいました。
── お父さんはもともと暴力を振るう人だったのですか?
フジタさん:暴力的な面はありましたし、少し強面なので近所の人から恐れられてはいました。でも、内縁の妻と会うまでは、理由があって殴っていたけど、内縁の妻と一緒になってから、ただただ理不尽な理由で殴るようになりましたね。