父に助けを求めても
── お父さんが内縁の妻の家に住むようになってから、フジタさんとKくんとの関係性は変わりましたか?
フジタさん:あまりしゃべらなくなりました。父に何か話をしても、その内容をKくんが学校でおもしろおかしく話すことが何度もあったので。それにKくんも暴力的な面があって。あるとき、Kくんが持っていたおもちゃのエアガンで僕を狙って、エアガンの弾が僕のおでこに当たったんです。今でこそ規制がかかっていてそこまで危なくないと思うけど、当時の球の破壊力は凄まじかったので、おでこに当たって痛いどころの騒ぎじゃなくて。今でも傷が痛むぐらいの衝撃でした。
さすがに「どうにかしてくれ…!」と父に抗議をしましたが、笑われて終わり。Kくんはガタイもよかったのでやり返すこともできなかったし、ひたすら我慢するしかなかったです。
Kくんもつらかったとは思うんですよ。母親と2人、狭くてボロボロのアパートに住んでいたところに、いきなり父が住んじゃってるんだから。
── そうした壮絶な状況のなかでフジタさんの味方になってくれる人はいましたか?
フジタさん:父の姉はすごくいい人だったので心配してくれたし、家族旅行にもときどき参加してくれました。でも、姉も父には何も言えなかったというか、言っても聞かないし、言える空気じゃなかったんだと思います。
そんな壮絶な小学校生活のなかで、唯一の救いはやっぱりゲームでした。ゲームに没頭しているとつらいことも悲しいことも忘れさせてくれるんです。子どものころは自分でどうすることもできなかったから。もしゲームがなかったら…と思うとゾッとしますね。
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中学時代も理不尽な思いを抱きながら耐える日々だったというフジタさん。その後、芸人を目指して実家を出ると、父とは20年間も絶縁状態になります。ただ、40代になったころ突然、父から電話が。久しぶりに再会を果たすと、「今までつらい思いをさせて悪かった」と初めて謝罪の言葉を伝えてくれたそうです。
取材・文/松永怜 写真提供/フジタ