お笑い芸人の銀シャリ・鰻さん。相方・橋本さんの鋭いツッコミをいとも簡単に受け流すボケと絶妙なたたずまいで人気です。子どものころは家庭の事情で貧乏だったものの、逆転の発想で楽しく暮らしていたようです。(全3回中の1回)

「ほかの家と違う」と感じたのはクリスマスツリーがきっかけ

── 鰻さんは3人きょうだいの末っ子で、実家は経済的に苦しかったそうですね。

 

鰻和弘
くるくるの天然パーマがかわいい幼少期の鰻さん

鰻さん:子どものころはほんまに貧乏で。特にクリスマスは、ツリーが結構な値段するみたいでね。それでおかんが植木鉢の木を買ってきて、それをツリーにしたんですよ。本物の木なんですけど、鉢のまわりを銀のアルミホイルで包んで、僕らからすると、それがツリーっぽく見えたんです。その木に僕や兄貴が白い綿をペタペタ貼って飾りつけて、クリスマスを過ごしたのを覚えていますね。

 

芸人になってから、関西の番組に出演したとき、何げなくそのときの写真を紹介したんですよ。そうしたら、「こんな汚いクリスマスツリーあるんかい!」って出演者一同が爆笑して。たしかに、今になってみるとパッと見がめっちゃ汚いんですよ。僕らきょうだいが好き勝手に綿を貼りつけただけなんで。

 

── 番組で爆笑をさらったんですね(笑)。ただ、お母さんは、子どもたちのためにいろいろ工夫して優しい方なんですね。鉢にアルミホイルを巻くなんて憎いなと思いました。

 

鰻さん:おかんは本当に優しかったです。ただ、ほんまもう時代を感じますね。僕は今41歳だから、35年くらい前の話ですけれど、あのツリーに関しては、ほかの友達の家に行ったとき、「うちのと木がちゃうやん!」って当時から思ってて。そもそも種類が違う。「うちの家ってほかの家とは違うんや」って思った最初の記憶かもしれないです。

 

鰻和弘
テレビ番組で紹介して物議を醸したクリスマスツリーと鰻さん

── 幼少期に暮らしていた家は、特殊なつくりだったそうですね。

 

鰻さん:そうなんです。大工の棟梁が建てた作業場の屋上に僕の家があったんですけど、プレハブのアパートで。アパートには2部屋しかなかったんですけど、もう1部屋は空いていたから、アパートが鰻家の独占状態だったんですよ。だから、子どものころは、屋上でよく遊んでいて。

 

ある日、屋上で寝そべって夜の空を見ていたんです。誰もいないから、パンツを履かずに全裸で。屋上って、夜になるとめっちゃ星が見えるんですよ。大阪の八尾市に住んでいたんですけど、八尾空港を行き来する飛行機も飛んでて、夜空だと星と一緒にキラキラ光って、すごくきれいでした。少し経って「そろそろパンツ履こう」と屋上の洗濯干し場から干してあったブリーフを手に取って履こうとしたら、その瞬間に「いたっ!」となって。ブリーフの中に蜂が入っていたんですよ。

 

── ブリーフの中に蜂が!?

 

鰻さん:そうなんです。その蜂、ブリーフの中で、僕の右のタマを刺しやがったんですよ。もうね、痛いし、見た目が激変してすごかったですよ。最初、シワシワだった右のタマが、リンゴみたいに真っ赤に腫れ上がったんです。しかも、光沢が出てピカピカになるんですよ。右のタマ1個だけ、ほんとね、リンゴと同じサイズです。

 

── いやぁ、それは痛そうですね…(苦笑)。

 

鰻さん:さすがに痛くて、おかんとか兄貴と姉ちゃんに見せて相談したら、「これ蜂や」って病院に連れて行かれました。医者も「蜂ですね」って。めちゃくちゃ痛かったですね。それからは、パンツ履くときは必ずパンツを一回振り払うようになりました。今でも。子どものころからの習慣になっています(笑)。