救急車を呼び心臓マッサージした長女は看護師に

── 周囲の方もとまどったでしょうね。第1発見者の娘さんの様子はいかがですか。9歳下の弟さんは父親の死をどのように感じていたのでしょうか。

 

岡田さん:娘は発見後、救急車をすぐに呼びました。救急隊が到着するまでの間も通報した電話をつないだままにし、救命士さんから指示を受けて心臓マッサージを続けたそうです。病院で待っている間に「お母さん、私、心臓マッサージできたよ」と、教えてくれました。お葬式でもしっかりしていて、娘の様子が心配で来てくれた高校の先生が、娘ではなく、泣きじゃくる私を励ましてくれたくらいです。

 

じつは娘は中1のときに「私、看護師になる」と宣言していて、言葉通り看護師になりました。最初の夫が亡くなったとき、娘はまだ1歳で記憶は残っていませんが、心のどこかで父の死に影響を受けていたのかもしれません。再婚相手の夫にひとりで心臓マッサージを続けた姿に、娘の強い思いを感じました。

 

当時、小1だった息子はあまり状況を理解していませんでした。でも、小6のとき、学校の授業で「父は酒で死期を早めたので、自分は大人になっても酒を飲まないつもりだ」と発言して、まわりを驚かせたそうです。彼なりに成長してから考えることがあったのでしょう。

 

── 岡田さんご自身は、直後はどのような状態だったのでしょうか?

 

岡田さん:「ごめんね、許してね」と子どもたちに告げて、目の前で思いきり泣きました。そうしないと自分が壊れそうでやっていられなかったし、感情を抑えることができなかったからです。

 

ふたりの配偶者の死のうち、どちらがきつかったかと聞かれたら、突然だったぶん、2度目の死別がきつかったです。でも、1度目の死別後は感情が表現できず、長い間ひきずったつらさは大きいものでした。2度目は突然だったため、バタバタして、死を受け入れる覚悟をする時間のないまま大変でしたが、感情を表に出せたので、最初の配偶者の死よりは心が解放された気がします。ただ、入院を経た病死も突然死も、大切な人を失った悲しみは長く癒えることはありませんでした。

 

 

結婚相手が続けて死別してしまう経験をした岡田和美さん。その喪失感に周囲はとまどいながらも、気づかった声をかけてくれたそうですが、もっとも救いとなったのは、黙って2時間、背中をさすってくれた友人の寄り添い方だったそうです。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/岡田和美、野田涼・soar