2人目の夫とは「行ってくるわ」が最期の会話に

── その娘さんが成長し、岡田さんの心境に変化はありましたか?

 

岡田さん:娘が4歳のころ「うちはどうしていつもお母さんとふたりなの?」と、聞かれたことがあり、そのとき、夫が亡くなった経緯を伝えました。娘は「ふーん」と理解はしていたようですが、そのころから、娘のためにも「父親がいれば」と再婚への気持ちがわきはじめました。けれど、いくつか再婚の話はあってもなかなか思うように進まないので、もう娘とふたりだけで生きていこうと決めた矢先に、大阪で阪神大震災にあいました。

 

地鳴りのような轟音とともに、タンスの上の重い金属製の衣装ケースが娘の布団の足元に落ちてきたんです。もしあれが、娘の頭に当たっていたらと想像すると…。本当に怖かったし、このままひとりで重要な判断をしながら、娘を育てる責任のすべてを負って生きていくのはムリだと感じ、頼れる人が欲しいと、結婚相談所を通じて再婚しました。

 

── 再婚相手はどんな方ですか?

 

岡田さん:再婚相手は4歳年上で、お酒やタバコの好きな人でした。息子が生まれて幸せでしたが、夫婦ケンカも多かったです。夫が安定した仕事になかなかつけなくて、経済的なことで言い争いになることもありました。1度、夫が「もう出ていく」と言うので、「あなたにとって、私は他人だけど、子どもたちにとってあなたは親なのよ、責任を果たして」と止めました。それから夫は親としての自覚を強く持ったらしく、定職につき、人が変わったように熱心に働きました。私も「冷たいことばかり言わないで、夫にもっと優しく接しよう」と反省した矢先、夫が「頭が痛いから頭痛薬が欲しい」と言い出したんです。

 

── よくある頭痛や風邪の症状のような感じでしょうか。

 

岡田さん:はい。夫も一時的なことだと思ったらしく、病院に行かず、通常通り生活を続けました。でも、その週末の午前中、小1の息子をスイミングに連れていくために、私が「行ってくるわ」と告げ、夫が「気をつけて行ってきて」と、答えたのが最期の会話になったんです。

 

お昼過ぎに高1の娘から「お父さんが息をしてない」と電話がありました。夫は自宅の2階で倒れ、ズシンという音を聞いた娘が発見したそうです。私が病院にかけつけたとき、医師たちは心臓マッサージをして蘇生の努力を続けてくれていましたが、すでに自宅で死亡していたようです。くも膜下出血により、夫は46歳で帰らぬ人となりました。

 

岡田和美
現在は死別体験を持つ当事者同士が集まるグリーフケアの定例会も行う

── まさかの2度目の配偶者の死ですね。しかも、直前までふつうに生活をしていたのに突然の別れとは…。

 

岡田さん:2度目の夫の死はあまりに突然すぎて、本当につらかったです。最初の夫の看取りは闘病生活を経ていたので、ある程度の覚悟や準備はできました。最後、死期を悟った夫が、私に「(いままで)ありがとう」と言うので、縁起でもないと「何言ってるのよ」と、気持ちを伝えあうことも叶いましたが…。

 

かかりつけ医による死亡確認ができない自宅死は、警察の検視が必要です。再婚相手の夫はかかりつけ医のいない突然死のため、死亡診断書の手配や行政の届け出まで、すべてを私が行いました。葬儀屋さんも私の友人の住職も「10数年の間に、2度、配偶者と死別した人は聞いたことがない」と驚いていました。まわりも、私にどう声をかけてよいのか、わからないという感じでしたね。