「貧乏を止めて」という母の想いで芸能界へ

── 引っ越してからも節約生活は続いたのでしょうか?
宮本さん:当時は節約している意識はなかったのですが、引っ越したからといって生活は大きく変わりませんでした。電気はなるべくつけず、暗くなったら早めに寝たり、お風呂は節水のために家族4人同時に入ったり、トイレのタンクに水を溜めすぎないようにペットボトルを入れておくなどの節約は日常的に行っていました。
そのおかげでアイドルになって22歳で上京してひとり暮らしをしても、ムダ使いをすることはありませんでした。長年の節約生活が染みついて、電気をつけないSDGsな生活を大人になってからもしていたので、日曜日はアニメ『ちびまる子ちゃん』が放映される6時台には寝てしまうことも(笑)。
── アイドルになってからも、そんな生活だったんですね!そもそも、芸能界に入ろうと思ったきっかけは、何だったのでしょう?
宮本さん:芸能界デビューのきっかけは、母がNMB48のメンバー募集を見て、「応募してみれば?」と言ってくれたことでした。もともと、ベッキーさんやモーニング娘。さんが好きで、芸能界に憧れがありました。
16歳でオーディションに受かって芸能界デビューしたことで、人生は大きく変化。自分でお金を稼げるようになりましたが、NMB48を卒業して上京するまで、お金の管理は両親に任せていました。必要なときに必要な金額だけもらっていて、NMB48を卒業して上京するのを機に、自分でお金の管理をするようになったと思います。

実は芸能界に入るとき母に「あなた(の代)でわが家の貧乏を止めて!」と言われたんです。若いころからお金に苦労してきたからだと思います。母は芸能活動を応援してくれました。上京して芸能活動をしながらバイトしたのは西麻布にある高級焼肉店なんですが、これも母のアドバイスでした。「お金持ちの人と知り合いになれるかもよ…」と(笑)。でも、連絡先を交換するようなことは結局なかったですね。高級焼肉店だけあり、まかないがすごくおいしいことがやりがいでした(笑)。
── アイドル時代にも「貧乏キャラ」でメンバーからよくいじられていましたが、あれはなにかきっかけがあったのでしょうか?
宮本さん:最初、実家が貧乏だったことは隠していました。でも「飛行機に乗ったことがない」「マンゴーを食べたことがない」など話していくうちにバレてしまい…。それでいつの間にかそういうキャラになってしまいましたね。マンゴーに関しては高価で、おそらく親が買うことができなかったんだと思います。「マンゴーなんておいしくないよ」と両親から言われていました。なので、ずっとそれを信じていたのですが、初めて食べたときはそのおいしさに感動しましたね。
最初は娘が貧乏キャラでいじられていることを知ったら両親が悲しむのではと思っていたのですが、私がテレビに出ることのほうがうれしいみたいで…。いろいろと当時のエピソードを思い出して積極的に教えてくれます(笑)。
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過酷な幼少期を経てアイドルとして活躍をした宮本さんですが、2020年にはお笑い芸人で医師のしゅんしゅんクリニックPさんと結婚。2022年には長女を出産します。出産時に体調が悪化した宮本さんの横で爆睡していた夫のことは「いまだに恨んでいる」とのことですが、「一生許さないけど、別にいいや」と思うようにしているそう。「結婚ってそういうものなのかなと(笑)」と、明るく話してくれました。
取材・文/酒井明子 写真提供/宮本里歩