「聖子ちゃんの悪口言いやがって!」に涙
── ファンレターもたくさん届いたのではないですか?
春さん:応援のファンレターもありましたが、何しろいろんなアイドルやタレントに対して毒づいていたので、「クレームレター」のほうが多かった記憶があります。ファンレターの封筒に「キリトリ線」と書かれていたのでそこから開けようとしたら、裏にかみそりの刃が仕込まれているのはしょっちゅう。指をけがしそうになったことがありました。
── 20歳前後の時期に、そういった手紙はショックだったのではないですか?
春さん:でも、毒舌漫才をするという覚悟を決めたときから、バッシングは想定していたので仕方ないという気持ちのほうが大きかったかもしれません。
── ほかにも、漫才ブーム当時の印象的なできごとがあれば教えてください。
春さん:テレビのドッキリ番組には肝を冷やしました。学園祭で漫才をしていたら暴走族が入ってきて「お前ら、(松田)聖子ちゃんの悪口言いやがって!」と詰め寄られて。ものすごく怖くて、なんとか相手をなだめようとするんですけど声が震えるんです。「ドッキリ」の看板を見たときにホッとして、ブワーッと涙があふれました。
仕事復帰するも両親の介護で腰を痛め…

── 漫才ブームを経て女優としてもドラマや映画に出演されるようになりました。1983年の『スチュワーデス物語』では主人公を関西弁でいびる同期役としてインパクトを残しましたが、1990年以降仕事をセーブされたのは何がきっかけだったのでしょうか?
春さん:1990年に結婚し、翌年長女を出産してからすぐに『女系家族』という連続ドラマに出演しました。以前であれば休憩中は楽屋でセリフの練習をしていたのですが、出産後は休憩中も娘のことを考えてしまい…「母乳をあげたい」という気持ちがわいてきて、家でどうしているか気にするようになってしまったんです。さらに第2子を妊娠していることがわかり、頭の中で仕事より子どもを優先してしまうようなら、2人目を産んだらしばらくお休みさせてもらおうと思いました。年子の子どもを育てるのは大変ですし、そこから8年くらいはほとんど専業主婦状態でした。
── 子どもが大きくなるにつれ、仕事復帰したい気持ちが強くなったのでしょうか?
春さん:仕事をしたいという気持ちは頭の片隅にずっとあったのですが、漫才ブームのときのように睡眠時間を削ってまで必死で働きたいとは思えなくて…家族に迷惑をかけない程度に仕事を再開したいと会社に伝えました。復帰後はテレビ番組の司会が多かったです。やはりドラマの仕事は時間が不規則で読めないので、何曜日の何時と決まっているレギュラー番組の仕事だけ受けていました。
── その後はご両親のダブル介護に追われ、介護が終わってからはひどい腰痛に悩まされたそうですね。
春さん:はい。2017年ごろですから約8年間続いた介護が終わって1年後、長年のオムツ替えなどで負担がかかっていたのか、腰がしびれるように痛くて。マッサージや鍼治療などいろいろと試しましたがよくならず、病院へ行くと腰椎椎間板ヘルニアと診断されました。当時はドラマの撮影中だったので、痛み止めを飲みながらだましだまし仕事をしていました。背骨の骨と骨の間にある椎間板が飛び出してしまうのが腰椎間板ヘルニアですが、通常3か月程度で自然治癒する人が多いところ、私の場合は痛みがひどくなるいっぽう。自分で治す力がないと判断されて手術をしました。
── どのような痛みがあったのですか?
春さん:朝ベッドから起きても痛くて歩くことができず、はうように移動してキッチンへ行き、痛み止めを飲むような日々でした。手術では、骨と骨の間に飛び出している椎間板を取り除きました。入院は当初の予定では2週間でしたが、わりと早く動けるようになったので、「家で動いているほうがリハビリになるんちゃうかな?」と医師の先生に言い、OKが出て10日で退院しました。今はもう痛みはありません。
── 介護もなく、ご自身の体も健康ないま、やりたいことは何ですか?
春さん:介護が終わってすぐドラマ『陸王』(2017年)に出演できましたし、2021年にはNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』にも出演させてもらいました。やはり俳優になりたくて10歳でこの世界に飛び込んだので、もっといろんな作品で芝居をしたいです。幼稚園児や小学生の孫がいるので、幼い孫たちにもっと認識してもらえるようにがんばらないと!と思っています。
取材・文/富田夏子 写真提供/春やすこ