14歳で漫才師デビューをし、現在は女優として活躍する春やすこさん。両親のダブル介護生活が続いたころは円形脱毛症になるほどストレスを抱えていましたが、ケアマネージャーの言葉に救われたと言います。当時の経験から、現在介護中の人やこれから介護を迎える人に言いたいこととは──。 (全2回中の1回)

病気やけがで、両親が相次いで要介護状態に

春やすこ
春やすこさん

── ご両親はどのような病状から要介護になったか聞かせてください。

 

春さん:1995年に父が脳梗塞になり右半身が不自由になりました。そもそも父は病弱で、「病気のデパート」というくらいあちこち手術をしているんです。胃に腫瘍があって3分の2を切除し、残った3分の1にも結局はポリープが見つかって全摘出。ほかに腹部大動脈瘤、急性心筋梗塞の経験があり、悪いところばっかり。その後、母が肺気腫を患って酸素マスクが手放せなくなり、トータルですと21年間、何かしら両親のお世話をしていたと思います。

 

── 本格的な介護はいつごろから始まったのですか?

 

春さん:2009年に父が階段から落ちたのですが、打ちどころが悪かったのか自分で起きて歩くということができなくなり、オムツ生活になりました。母は肺気腫のため酸素ボンベを使っていましたが、当初は父のお世話をすることはできたんです。でもほどなくして、母も自転車で転んでけがをしてしまい、人工股関節を入れる手術をしたため足が痛くてオムツ替えができなくなって…私が担当することになりました。また、そのころから母の肺気腫がひどくなり、今まで日中だけでよかった酸素ボンベを夜寝ている間もつけなければいけなくなりました。家族が夜中の呼吸を確認する必要が出てきて、父のオムツ替えと母の呼吸確認というダブル介護が本格的に始まりました。そこからが大変でしたね。

 

── 当時、ご両親とは同居されていたのですか?

 

春さん:はい。父が脳梗塞を患ったころから両親だけで暮らすのは大変だったので一緒に住むようになり、1階が両親の寝室で、2階がリビング、私は3階で寝ていました。ダブル介護が始まったころは、父のオムツを3時間おきに必ず交換するなどマニュアル通りの介護をしていたのですが、夜中や明け方も0時、3時、6時と起きてオムツ交換しなくてはいけないので、ものすごくストレスが溜まりました。昼間も自由に出かけられないですし。