「くみっきー」の愛称で親しまれ、雑誌『Popteen』で17か月連続表紙を務めたモデル・タレントの舟山久美子さん。第一線で活躍し続けてきましたが、27歳のときに生き方を大きく変えるような出来事が起こります。(全4回中の2回)
「娘がこんなふうに」ギャル反対の父を変えた手紙

── 17歳のときから雑誌『Popteen』で5年間専属モデルを務めるなど、活躍されてきました。表紙モデルとしてプレッシャーが大きかったと思うのですが、当時はどのように感じていましたか?
舟山さん:正直にいうとプレッシャーを感じている暇はありませんでした。『Popteen』はただ撮影現場に行って撮られるだけでなく、「自分のメイク術を紹介したい」などモデルも企画を提案し、等身大の自分を発信する雑誌でした。いつも撮影に追われていて、目の前のノルマを期待以上の結果で届けるのに必死だったんです。
表紙についても自分の出演を言われるのが撮影の3日くらい前で、決まってから撮影までの間は無理なダイエットをしていました。体に凹凸をつけないために3日間固形物は食べずに水だけ飲むとか。今考えればメチャクチャな食生活なのですが、当時はそれが当たり前でした。
── もともとモデルに憧れていたのでしょうか?
舟山さん:おしゃれや洋服は好きだったのでモデルという仕事に興味はありましたが、きっかけは高校2年生のときに渋谷の109でスカウトされたことです。『Ranzuki』というギャル系ファッション誌のスナップ撮影で声をかけられ、そこから『Vanilla』『egg』などの雑誌の巻頭ページの撮影に呼ばれるように。スカウトから半年くらい経って、『Popteen』のモデルになりました。
── 普通の高校生がいきなりモデルになるのは、大変だったのでは?
舟山さん:初めて巻頭ページの撮影に呼ばれたときに、共演した人気モデルの方のスタイルのすごさに驚いたのを覚えています。みなさんの太ももが腕くらいの細さしかなくて。自分の体型にショックを受けて自己肯定感が下がりましたね。
人前に出ることは得意ではありませんでしたが、撮影に行くと新しいメイクをしてもらえたり、発売前の洋服を着られたりすることが楽しくて、最初はアルバイト感覚で続けていました。
── アルバイト感覚ではなく、本格的に取り組むようになったきっかけがあったのでしょうか?
舟山さん:『Popteen』に入ってしばらくすると、連続して表紙の撮影に呼ばれるようになりました。そのころからファンレターをもらうようになったのですが、そこに「くみっきーの活躍を見て学校に行けるようになった」「今は病気で通院しているけれど、くみっきーを見て治療をがんばろうと思えた」という内容が書かれていたんです。ファンの子の人生に関わるような深いメッセージが多く、うれしいと同時に、自分の影響力の大きさについて考えるように。影響を与えるからにはしっかり仕事に向き合って取り組まなければダメだと思うようになりました。
実はモデルになった当初、父はギャル姿の娘が受け入れられなかったようで、すごく反対していたんです。ギャル姿をするようになった中学時代は本当に父とは仲が悪くて。でも、私としてはモデルデビューをきっかけに、ギャルの自分を認めてほしいという気持ちがありました。反対していた父も私宛のファンレターを読み、「娘がこんなふうに応援してもらえているなんて」と思ってくれたようで。見た目だけで人を判断してはダメだと、ギャル姿の私のことも受け入れてくれるようになりました。