「くみっきー」の愛称で雑誌『Popteen』などを中心に、モデル・タレントとして活躍してきた舟山久美子さん。10代のころから第一線で輝く順風満帆な人生かと思いきや、幼少期には実家が借金を背負い、電気や水道が止まったことも ──。(全4回中の1回)
電気が止まり、受験勉強中の兄の手元をロウソクで

── 2008年、17歳のときにモデルとしてデビューされました。華やかな世界でつねに輝いている印象ですが、幼少期には実家が借金を背負い大変な時期もあったとか。
舟山さん:わが家は両親と兄の4人家族です。私が小学2年生のころまでは一般的な家庭と変わらず、特に不自由なく過ごしていたように思います。
父は自営で建築業を営んでいて、バブル期を経験してきた人。すごく真面目な人で仕事にも一生懸命取り組んでいて羽ぶりがよかった時期もありましたが、私が小学2年生のころから事業が徐々に傾いてきたようで…。信頼していた人に騙されるなどの不運も重なり、数年で4000万円の借金を抱えることになったんです。
── それはかなりの金額ですね。生活が一変したのでは?
舟山さん:そうですね。借金を返すまでに数年かかったのですが、水や電気などのライフラインが止まったこともありました。水が止まったときは水筒を持って公園や近くのショッピングモールに行って水を汲んだり、受験生だった兄が勉強中に電気が止まったときは、ロウソクを灯して手元を明るくしたり。兄は高校受験の際も受験料や授業料の関係で多くの高校を受けることができず、本命1本に絞って受験するなど大変そうでした。
私は小学校高学年、中学など多感な時期と被り、貧乏なことが原因でいじめにあったこともありました。給食費が払えずクラスで噂になったり、家を見た同級生に「ボロボロな家だ」と言われたりしましたね。
── そのころの家族の雰囲気はどうでしたか?
舟山さん:母が明るい人なので、家の雰囲気が暗くなるようなことはありませんでした。「今は大変だけれど、きっといつか返し終わってまた元の生活に戻れるはずだからがんばろう!」と、家族をよく盛り上げてくれましたね。
父は家では亭主関白、外では仕事人間。仕事が優先で小さいころに父といっしょに過ごしたのは、夏休みなど、長い休みのときくらいでした。父は私に対して「娘はこうであるべき」という優等生的な理想像があったようなのですが、私は中学生になるとおしゃれに興味がわき、ギャルメイクをするようになりました。借金のことでそのころは父の心にも余裕がなく、理想像からどんどん離れていく私を受け入れられなかったようです。思い通りにならない娘にイライラしていて、厳しくされた記憶があります。携帯を没収されることもしょっちゅうで、ケンカして折りたたみ携帯を4回ほど折られたこともありました(笑)。