團遥香
すくすく育っています!

── 旦那さんは團さんの手術中、気が気じゃなかったでしょうね。

 

團さん:精神が保てずに泣いていたそうです。当たり前ですよね。手術は3時間にも及び、その間は私の状況がわからなかったため、とても不安だったと思います。翌朝、目を覚ました私は口に管が入っていて話せない状態。状況も理解しきれなかったため、紙とペンを借りて筆談でいろいろ質問して、今の状況について説明してもらいました。

 

夫はバスケットのチャンピオンシップという大事な試合期間だったのですが、私が急きょ手術をすることになったため、「試合には行けない」とチームに連絡をしていたそうで。慌てて「もう大丈夫だから試合に出てほしい」とお願いして、行ってもらいました。

 

夫がそういう状態になるのは想像できたのですが、驚いたのは母。私が輸血をして全身の血液が入れかわったことで性格が変わるのではないか、顔のむくみがすごいのでそれは治るのかと心配していたそうです。命に関わることよりそれを心配していたことに、びっくりですよね(笑)。

 

── 赤ちゃんとはすぐに会えたのでしょうか?

 

團さん:手術後に目を覚ました後、わりとすぐに子どもに会えました。私が手術している間、赤ちゃんは産院に預かってもらっていましたが、搬送先のICUが子どもも受け入れてくれたため、夫が産院に迎えに。でも術後すぐは動けなかったので、私が寝ている間に看護師さんが母乳を搾乳してくれて。なので、子どもに初めて母乳をあげたのは夫でした。私自身が体を起こしてご飯を食べられるようになったのは手術から4日くらい経ってからです。そこからリハビリをして、2週間ほどで子どもといっしょに退院しました。

 

私の病名は「羊水塞栓症」と言われました。私の身に起きたことは、頻繁に起こることではないそうですが、妊婦さんが死亡につながる危険な病気のひとつと言われました。出産は命懸けの仕事だと改めて感じました。しばらくはショックだったのですが、周りの方々のおかげで今は元気に過ごせていて感謝しています。

 

團遥香、原修太
富士山の見える場所で、家族で記念撮影

── 退院後は特に問題はないのでしょうか?

 

團さん:後遺症もなく元気に過ごしています。夫はあのときのことがあって、意識が大きく変わったんじゃないかな、と思います。生まれてからすぐに顔つきがパパに変わりました。あのまま私が亡くなったら子どもを一人で育てることになると思ったようで、父親としての自覚が早々に芽生えたのではと思います。育児も積極的にしてくれて、とても頼りになります。

 

PROFILE 團 遥香さん

だん・はるか。1993年、東京都生まれ。2010年にデビューし、タレントやレポーターとして活躍。プロバスケットボール選手の原修太さんと結婚、2024年に第一子を出産。曽祖父は政治家の團伊能、祖父は作曲家の團伊玖磨。

取材・文/酒井明子 写真提供/團 遥香