家訓は「代々同じ職についてはいけない」

團遥香、團紀彦
幼少期に建築家の父・團紀彦さんと

── お父さんはずいぶん、おもしろい方ですね。

 

團さん:願書の話を聞くとそう思うかもしれませんが、かなり厳しい人なんです。勉強についてなにか言うようなことはないですが、いわゆる亭主関白なタイプ。食卓では父が話すことをみんなが黙って聞いているような家族でした。それでも私は姉に比べて反抗するほうで、よく怒られていた気がします。

 

父はいわゆる「仕事人間」で、親子で一緒になにかをした思い出は少ないのですが、建築家の父がつくった建物は家族でよく見に行きました。そこで建物について解説をしてもらうのが、家族旅行の定番でしたね。それで私もデザインや建物に興味を持ちました。いま、私がアパレルの仕事もしているのも、父の影響が多少なりともあると思います。

 

── そんなお父さんでしたら、芸能界で仕事を始めることは伝えにくかったのでは…? 

 

團さん:正面から伝えると反対される気がしたので、父にはなかなか言い出せませんでしたね。高校1年生のときに、母と渋谷で買い物をしているときにスカウトされて芸能界にデビューしましたが、父にはしばらくは言わずに活動していました。CMやドラマに出ているだけではバレなかったのですが、19歳のときに情報番組『ZIP!』のレポーターを務めることになったタイミングで、さすがにバレましたね。

 

当時、毎朝、番組出演のため2時や3時に自宅を出る生活を送っていたのですが、それでも父はしばらくは何も言いませんでした。その後、知人から私が出ていることを聞いてテレビに出ていることを知ったようなのですが、反対もしないけれど特別に応援してくれるようなこともありませんでしたね(笑)。私の出演しているテレビ番組をわざわざ見るなど、私の仕事に特に興味があるような素振りは見たことはありません。

 

團遥香
2024年に第一子を出産。親子コーデを楽しむ

── 本当は同じ職業についてほしかったといった希望はあったのでしょうか?

 

團さん:それはないですね。実は團家には「代々同じ職についてはいけない」という家訓があるんです。同じ職業についてしまうとその職で自分がNo.1になれないためという理由からなのですが、そのため家族はみんな違う職業についていますね。

 

母は専業主婦だったからか「働ける場所を持ちなさい」と、小さいころから私に言っていました。なので、母と姉は最初から芸能活動について応援してくれていました。

 

── 最近はタレントとしてだけなく、クリエイティブ・ディレクターとしても活躍されていますね。

 

團さん:ルームウエアブランド「Minali」を立ち上げ、デザインなどを行っています。デザインには興味があったので学校で絵の勉強をしていたのですが、そのタイミングでブランド立ち上げのお声がけをいただきました。

 

出産してからはママ世代のファンが増え、ポップアップショップなどに会いにきてくれるようになってうれしいです。でも、正直、芸能界の仕事とは違ってメールなどの事務作業や人間関係など、大変な部分もたくさんあります。まだまだ勉強中です。

 

 

自身のブランドをもち、夢に向かって活躍中の團遥香さん。プライベートでは2024年にプロバスケットボール選手・原修太さんと結婚し、第一子を出産されました。しかしその際、出血が止まらなくなり、輸血をしながら緊急搬送・緊急手術をし、一命を取りとめたそうです。そのこともあり、夫の原さんは産後すぐにパパの自覚が芽生え、現在も主体的に育児を担ってくれているそうです。

 

PROFILE 團 遥香さん

だん・はるか。1993年、東京都生まれ。2010年にデビューし、タレントやレポーターとして活躍。プロバスケットボール選手の原修太さんと結婚、2024年に第一子を出産。曽祖父は政治家の團伊能、祖父は作曲家の團伊玖磨。

取材・文/酒井明子 写真提供/團 遥香