息子・亮夏さんが生後10か月ころに重度脳性まひと診断された畠山織恵さん。父からは「帰ってくるな」と言われ、子育てを誰にも頼れないなかで、次第に心身が追い詰められていきます──。(全3回中の2回)
「最初に笑いかけてくれたのは私じゃなかった」

── 生後10か月のとき、息子の亮夏さんが脳性まひと診断されたそうですね。
畠山さん:はい。当時の私は、育児をひとりで抱え込んでいました。亮夏は、筋緊張が高いせいで睡眠障害がありました。夜泣きがひどくて、私も眠れない。それでも、夫は仕事が忙しいことを大義名分に何もしてくれなかったし、「彼は仕事をする人、育児をするのは私」と私も思っていました。夫の両親は歩いて5分のところに住んでいたのに、私は「ひとりでやらなきゃいけない」と思い込んで、連絡しませんでした。
自分の両親には頼れませんでした。亮夏が脳性まひと言われたことを電話で告げたら、父に「しょうもない子どもを産みやがって。二度と帰ってくるな」と言われたんです。「絶対にこの子を立派な人間に育てて、見返してやる!」とそのときに思いました。
でも、あるとき過労で熱が出てしまって、起き上がれなくなってしまったんです。「1日だけでも寝かせてもらえば治るかもしれない」と思って、初めて義理の母に電話をして「熱がひくまで預かってください」とお願いしました。そうしたら「なんでもっと早く言ってこなかったんや」と亮夏を迎えに来てくれました。
── 誰かに頼ることができてよかったです。
畠山さん:結局、3日間熱が下がらなくて、やっと起きられるようになったころにお義母さんから電話がかかってきました。「亮夏くんが、笑ったと思うよ」って。びっくりして会いにいって、「あんた、笑えんのか?」と言ったら、ニコッと笑いかけてくれました。亮夏が1歳6か月のころです。
そのとき感じたのは「最初に笑いかけてくれたのが私じゃなかった」という腹立たしさ。「これまで私がどれだけがんばってきたと思ってるんや」って。でも同時に、「彼にとっては、私がいつも疲れてイライラしていて、笑えるような環境ではなかったんやろうな」とも思いました。おじいちゃんとおばあちゃんのおかげで、私の体調はよくなったし、亮夏は笑うきっかけを与えてもらえて「よかったな」と。私がひとりでがんばることは、必ずしも子どものためにならないということを体感したできごとでした。
仕事が忙しいことを理由に、夫が父親として本来やるべきことができないぶん、義理の両親が普通ならしないところまで助けてくれる。いろんな家族の形があっていいんだと今は思っています。