坂田おさむさんが『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさんになったのは、32歳のとき。それまではロック&フォークの世界で活動しており「子ども相手の歌なんて絶対ムリ」と思っていたそう。そんな坂田さんがなぜ「子どもとの関わりは大きな財産」と言いきるほどに変わったのでしょうか。(全3回中の2回)
テレビでおにいさんを見て「俺には絶対できねぇな」
── 坂田さんは32歳でうたのおにいさんに就任されました。おにいさんとしてはかなり遅いスタートだそうですね。

坂田さん:僕はもともとミュージシャン志望で、23歳でロックバンドのギタリストとしてプロデビューしたんです。バンド脱退後はソロのシンガーソングライターになって、レコードも出して。
北海道出身なので、実は松山千春くんと同郷・同期デビューなんです。でも彼のようには売れず、くやしかったな(笑)。しかも結婚して娘が生まれて「どうするよ?」となって。
── それでどうしたのですか?
坂田さん:僕の稼ぎはライブハウスでせいぜい月数万だから、かみさんがフルタイムで働いてくれて。自然と「俺が子どものめんどうを見るよ」となって、一時期は僕が日中の子育てをしてたの。当時は「男が稼いで女は家庭」という時代だったけど、ちょうどジョン・レノンもビートルズを休んで子育てしてたし「俺もまぁ、ジョンみたいなもんか」と納得して(笑)。当時1、2歳だった娘と一緒に『おかあさんといっしょ』を観ていましたね。
── 子どもの父親として、番組を観ていたんですね。
坂田さん:だってそのときは、まさか1年後に自分がうたのおにいさんになるなんて、夢にも思ってないから。テレビの中で子どもたちとおにいさん、おねえさんがワイワイやってるのを見て、申し訳ないけど「うわぁ、俺には絶対できねぇな…」って思ってました。
── それは「俺みたいなロックやフォークの世界の人間が、子ども相手に歌うなんて」という?

坂田さん:当時は、そういうプライドがギンギンにありました。子ども番組の世界がすごく芝居がかったものに見えて、正直なところ、ドン引きしたんですよね。
でも、僕は相変わらず売れなくて、どんどん食い詰めてくるわけ。どうしようと思っていたら、お世話になっている作詞家さんから「『おかあさんといっしょ』向けの歌をつくってみない?」と声をかけられたの。だから番組との関わりは、うたのおにいさんよりもソングライターとしてのほうが先なんです。