NHK『おかあさんといっしょ』で7代目・うたのおにいさんとして活躍した坂田おさむさんは、ロックバンドのギタリストとしてデビューした異色の経歴の持ち主。今では、音楽の教科書にも掲載される『ありがとうの花』や『どんな色がすき』などの作詞・作曲家としても知られます。大ヒットソング誕生の背景には、意外なエピソードがありました。(全3回中の1回)

『ありがとうの花』はおにいさん卒業の15年後に誕生

── 坂田さんは「うたのおにいさん」だけでなく、子どものための歌の作詞・作曲家として活躍されてきました。代表曲といえば、小学校の音楽の教科書にも載っている『ありがとうの花』。この歌はなにがきっかけで生まれたのですか?

 

坂田さん:この歌をつくったのは2009年で、僕が55歳のとき。『おかあさんといっしょ』を卒業したのが1993年だから、15年くらい経ってるのね。今振り返ると、その年齢と状況だったから生まれた歌かなと思うんです。

 

これはね、感謝の気持ちを歌にしたいと思ったんです。だから歌詞の出だしも「ありがとう」で始まっているんですよ。「ありがとう」と言うと、周りの人が笑顔になって、それがお花みたいだなと。で、感謝の気持ちや笑顔は、その場だけで終わりじゃないと思うのよ。だから、ひとつの「ありがとう」がいろんなところに飛んでいって、どんどん広がるように…という願いを込めた歌なんです。

 

『ベストヒット!だいすき☆おさむさんのうた~ありがとうの花~』(キングレコード/現在は製造中止)では、娘の坂田めぐみさんが父の歌を歌っている

──「ありがとう」が広がっていくことを願った歌なのですね。

 

坂田さん:そう、タンポポの綿毛みたいにね。最初に「ありがとう」を言った場所から、タネがふわりと飛んでいって、新しい場所でまた「ありがとう」の花がポンと咲く。そういうイメージが浮かんだかな。

離れたからこそ見えてきたもの

── 卒業されて15年も経ってから生まれた歌だとは知りませんでした。

 

坂田さん:僕は番組卒業後はソロのシンガーソングライターに戻ったんだけど、離れて15年くらい経つと、おにいさんとして必死だった当時の自分や、支えてくれた方々を俯瞰で見られるようになって。

 

「あぁ、本当にありがたい、大きな財産をいただいたな。みんなのおかげで今の自分がいるんだな」という感謝の気持ちがわいてきたのね。だから、自分が現役のうたのおにいさんだったときは、この歌はつくれなかったと思う。

 

── それは、感謝の思いが変化したからでしょうか?

 

坂田さん:現役時ももちろん「ありがとう」の気持ちはありましたよ。だけど、うたのおにいさんという立場を客観視できるようになったのは、やっぱり番組を離れてからかな。

 

番組に出ていたころはシンガーとしての意識も強いから、歌をつくるときはどうしても、自分が歌うことを考えちゃうのね。でも、毎日のように子どもたちと触れ合っていた日々が過ぎて、テレビのいち視聴者として後輩のおにいさん、おねえさんたちを見ていると「僕はなんてすばらしい、ありがたいポジションにいさせてもらっていたんだろう」と。

 

── 現役時代には気づけなかったことが見えてきた?

 

坂田さん:そうですね。15年間ってそこそこ長い期間だから、人生の中でいろんなことが変化するじゃない? 僕の場合は小学生だった娘が成人したり、いろんな人とつながったり、離れたりね。紆余曲折あったけど、ずっとシンガーソングライターでいたことと、さまざまな子どもたちと関わることは、ブレずに続けられた。それについては、ただただ周りに感謝なんですよね。

 

── そういう感謝の積み重ねが、『ありがとうの花』にもにじみ出ている気がします。今は音楽の教科書にも載り、超定番曲になりました。

 

坂田さん:この歌をつくってから15年以上経つけど、僕がつくったときには想像もできないほど、広がってるんですよね。それは本当にありがたいのと驚くのと、ちょっと面映ゆいのと…でも自分がつくれたという誇りみたいな、いろんな思いがありますね。

 

東日本大震災のときに、東北にたくさん支援物資が集まったでしょう。で、ある日テレビを見ていたら、被災者の方々が「支援のお礼に」と言ってこの歌を歌ってくださっていたんです。それは驚きました。だから本当に、僕の手を離れたところまでありがとうのタネが飛んでいって、花を咲かせてくれているんだなと思います。