仕事で突然、女性モデルの代役を務めたことがきっかけで、日常生活でも女装するようになったと話す男性。なぜそうなったの?周囲はどう感じているの?女装して気づいた、心理的変化についても聞きました。(全2回中の1回)
きっかけは「女性モデルの代役」を務めたこと
── モデル、バンドのボーカル、イラストレーターとして活躍する谷琢磨さん。現在47歳、ふたりの女の子を育てる父親ですが、34歳から日常生活を女装で過ごしているそうですね。きっかけは何だったのですか?
谷さん: ある日、女性のモデルが体調不良だったことから、撮影モデルの代役を務めることになりました。「谷くん、身体が小さいから女性用の服を着られるのでは?」と急遽、連絡を受け、ロリータファッションの洋服を着て撮影することになったんです。20代後半からバンドのボーカルやモデルとして人前に立つ機会はありましたが、私生活はおしゃれには無縁で、もちろん女装経験はありませんでした。
仕事とはいえ、女装は違和感がありすぎて…すごくイヤでした。バンドでステージに立つ際にメイクの経験はあったのですが、女性用のメイクなんて初めてで。客観的に見て、他人から変に思われないか不安でした。
── 女性モデルの代役として女装し、ご自身は不安を感じたのですね。しかし、周囲には好評でその後も女装モデルの依頼が続けてまいこんだそうですが、その後、行動や心境に変化はありましたか?
谷さん:はじめはスカートを履いているのに座るときに足を開いてしまうなど、慣れるまで大変でした。撮影の合間にコンビニに行くのも「この格好で大丈夫か?」とドキドキして。でも、女装を周囲がほめてくれたことで、モデルとして認められていると実感し、ポジティブな気持ちになっていきました。長年のコンプレックスだった低めの身長や細い体つきも、女装では評価されたことが大きいです。女装でのモデルの仕事依頼を続けて受けたことで、プロ意識が芽生え、自分でも女装姿に自信とこだわりを持つようになりました。
── 女装に前向きになっていったのですね。モデルの仕事以外で女装をするようになったのはいつからですか?
谷さん:公の場では初めて仕事で女装をしてから半年後、バンドのステージで披露しました。女装のほうがステージ映えしますが、それまでのバンドのイメージが崩れるというファンからの意見もあり、賛否両論でしたね。当時は、いまほど女装する文化がオープンではなかった背景もあるでしょう。バンドの方向性自体は私に任されていたので、メンバー間で女装についてはあまり問題にはなりませんでした。でも、私の見た目だけを変えるつもりが、書く歌詞も自然に「僕」から「私」に変わり、荒々しい歌い方が優しく変化しました。女装に変えた結果、表現の幅が広がり、新たなひらめきを得るなど、バンド活動のプラスになったのは自分でも驚きです。

── 女装は表現にも影響を与えたのですね。そこからプライベートも女装するようになった理由は?
谷さん:女性役のモデルとして仕事をしたことで、ブランドから高価な洋服をいただくことが増えていき。ふだんもそんな女性用の服が着たくなって、洋服にあわせてメイクをし、女装するようになりました。仕事だけでなく日常生活でも女の子の姿になると、突然の変化に驚いた友人たちからは、「気持ち悪い」と言われてしまい…。「どう接していいのかわからない」「何か不用意なことを言って傷つけてしまうのでは…」と、とまどう人もいました。内心はわかりませんが、1週間くらいでみんな慣れてしまい、何も言わなくなりました。
母と同居していたのですが、もともと自由や個性を尊重する考え方なので、彼女は私の変化をごく自然に受け入れてくれました。そういえば幼いころ、家で母に女の子のワンピースを着せられたことがありましたね。女装するようになってからは、外出前に「こっちのドレスがいいんじゃない?」と母がアドバイスをしてくれたこともあります。私の推察ですが、仕事が入口だったこと、そして、変化の過程を1年間くらい横目で見ていて母なりに受け入れる準備ができたのだと思います。いまでは、日常生活もすべて女装姿になり、女装していないと自分自身が落ち着かないようにまでなっていきました。