どの世界でも、うまくいっているときにどうするかが、その先を決定づけることはあります。ポジティブ漫才で売れっ子芸人になったぺこぱ。ネタ作りを担う松陰寺太勇さんは、「お笑いもつねにアップデートが必要」と言います。(全4回中の4回)
10年以上の下積み「正解がない世界」で戦う
── 2019年12月に「M-1グランプリ」の決勝に進出したぺこぱの松陰寺太勇さん。ポジティブ漫才で人気を博し、一躍ブレイクを果たしました。当時はどんな心境でしたか?
松陰寺さん:「M-1」で決勝に残ったときは、本当にお笑いをやめなくてよかったなと思いました。あのとき「M-1」に出てなかったら、いまごろどうなっていただろう、そう考えると怖いですね。決勝前のインタビューで「優勝目指してます!」なんて言ったけど、正直そんなこと思っていませんでした。全国ネットでネタを披露できるので、とりあえずしっかりやろう、という気持ちだけでした。
── それまでは長い下積み生活をされていたそうですね。
松陰寺さん:コンビ結成は2008年で、最初は自分がツッコミでシュウペイがボケ、次にシュウペイがツッコミで自分がボケと、立ち位置(役割)を何度も変えてきました。ライブでネタを試してみて、ウケたらちょっとその立ち位置で続けるけれど、スベり続けたら変えて、オーディションで落ちるとこれもダメなんだと思って、また変えたり。だから「信じた道」というのはあまりなかったかもしれません。
スベったときはやっぱりへこみます。お笑いのライブっていろんな芸人さんが出て、それぞれのファンがお客さんだから、興味がない芸人だと寝てる人もいれば、お前たちなんて見に来てねえんだよって態度の人もいて。逆に、そこでウケたらどこでもウケる。だから、わかりやすさ、インパクトをすごく大事にしてました。ローラーシューズを履いて舞台に出てみたり、着物を着て漫才をしたのもそう。そうやって、「何この人たち、ちょっとおもしろそうだから見てみよう」と、いかに思ってもらえるか。人と違うことをやろう、という気持ちだけがありました。

「何やってんの、そんなことしても売れないよ」って、ほかの芸人には思われていただろうし、実際に先輩からそうダメ出しされたことがありました。でも、ダメ出しする先輩自身が売れてなかったから、説得力ないんだけど…と思ってましたけど(笑)。
ほかにへこむのは、ネタ見せで作家さんにダメ出しされたとき。そこでたまに相方がダメ出しする側に立つことがあって。僕の理想は、相方も僕側に立って一緒にダメ出しを受けてほしいんですけど。作家さんのダメ出しに対して、「いや、僕もそれ思ったんすよ」なんて言い出すから、いやいや、ちょっと待ってくれと(笑)。
僕らはしょっちゅうボケとツッコミの位置を変えていたけど、何十年も変わらずやって売れる人もいるし、芸人によっていろいろです。でも、芸人は世に出られることが正解だから、どっちが正しいかなんてわからない。いずれにせよ、シュウペイは僕の意見に全のっかりでやってきてくれたので、そこはすごく感謝してます。