不登校時は外に逃げ場を作ることを意識していた

なんこ
不登校時代。興味のあるイベントに積極的に参加するようにしていた

── 不登校の間は、毎日どのように過ごしていたのですか。

 

なんこさん:近所でポールダンスを習っていたので週1回レッスンに行って、公文や習字も続けていました。あとはお母さんとカフェ巡りをしたり、ラーメン屋さんへ行ったりしたのがいい思い出です。不登校の期間は1年くらいだったんですけど、今振り返ると「意外と楽しかったな」と思います。

 

── そう思わせてくださるお母さんはすばらしいですね。

 

なんこさん:母は、私が不登校になり始めたころにフルタイムの仕事から転職をして、私といる時間を増やしてくれました。たいていの親は「学校へ行け」と言うと思うんですけど、行けと言わずに私に寄り添ってくれて、私を楽しませるためにいろいろと考えてくれて、ありがたかったです。

 

あと、不登校のときも友達とは遊んでいました。「学校に来てないやろ」ということを言わずに普通に接してくれた友達にも感謝しています。

 

有理子さん:当時は、いつまで不登校が続くかわからなくて「ずっとこのままかもしれん」と考え出すとブルーになることがありました。でも「考えても今は行けないことに変わりはないのだから、せっかくのこの時間を楽しまなもったいないな」と思って、ランチに誘ったり、図書館でお互い本を読んだり。お金をかけずに遊ぶ方法を探して、なるべく家にこもらないようにしていました。

 

ポールダンスの先生も「家にいるくらいなら、習いにおいで」と理解がありましたし、ランチへ行っても「平日になんでうろうろしている」と言われることもなく、好意的に受け入れてくれはったので、自由に行動することができました。なんことしては楽しかったんやと思います。

 

学校だけの社会にいたら、そこがダメになると一気に世界が閉ざされる閉そく感があるので、外に逃げ場を作ることは意識していたかもしれないですね。習い事など、あえて学校とは別のつながりを持てたのはよかったと思います。