エキゾチックな顔立ちとオン眉黒髪ロング…ストックフォトのモデルとして独特な存在感を放つ大学生のなんこさん。実は発達障害のグレーゾーンで、小学校のときは不登校も経験しています。(全2回中の1回)
先生が大きな声で叱るのが「怖いな」と思って

── 小学4年生のときに学校へ行けなくなったそうですが、きっかけは覚えていらっしゃいますか。
なんこさん:当時は行けなくなった理由がはっきりわからなかったんです。それまでは毎日学校へ行っていたし、友達との関係は悪くありませんでした。今思うと、担任の先生が原因だったんじゃないかなと思います。保育園でも小学校でも、それまではずっと女性の先生だったのですが、男性の先生が担任になって、大きい声で叱ったり、給食の台を蹴ったりするのが「怖いな」と思っていました。自分じゃなくてほかの子が叱られているのを見るのもつらかったです。
お母さんに「行きたくない」と言ったら「じゃあ、もう行かんでいいよ」とあっさり受け入れてくれました。
── なんこさんをいちばん近くで支えてきたお母さん(有理子さん)からみて、当時はどういう状況だったのでしょうか?
有理子さん:なんこは発達障害のグレーゾーンで、「不登校になる子が多い」という話は聞いていたので、「きたきた」という感じでした。ある程度の予備知識があったから、心の準備はできていたんです。
年少のころから、なんこは周りになじめないところがあって。環境の変化や大きい音が苦手だったので「発達障害かもしれない」と思っていました。児童福祉センターや児童精神科へ相談に行きましたけど、結局、確定診断は取れなくて。グレーゾーンということでした。3歳児健診で福祉士さんに相談したときに「福祉ひろば」(以下、ひろば)という施設を紹介してもらって、週1回保育園を早退して通っていました。
そこは、何かを訓練するというよりは、子どもを自由に過ごさせてくれる場所です。同じ空間にいても子どもたちはそれぞれ好きな遊具で自由に遊んで、先生方は様子を見ながら子どもたちの気持ちを解放させてくださいました。親は別の控室で親同士交流したり、先生を交えて勉強会をしたりしていました。
小学校低学年のときに にひろばを卒業してからもひろばの先生とはSNSでつながっていて、何かあるとダイレクトメールを送っていたんです。なんこが不登校になったときも相談しました。先生は「無理に学校へ行かせてはあかん、休ませて本人が行けるようになるまで黙って見守るべき」と話されていたので、その言葉に従いました。