高校卒業式の夜に、なんのアテもなくボリビアへ

高校時代のですよ。
高校時代。部活後も自主練に励んだ

── サッカー留学はなにかツテがあったのでしょうか?

 

ですよ。さん:まったくなくて。「サッカーといえばブラジルだ!」と思ったくらいです。それで、よく読んでいたサッカー雑誌で調べみると、ブラジルに3、4年間留学するためには600万円ほどかかることがわかりました。両親や祖父母にお金を出してくれるようお願いしましたが、「うちにはそんなお金はない」と。それでも諦めきれなくて、お金がなくても留学できる国はないかと、サッカー雑誌の編集部にまで電話をしたんです。ありがたいことに、当時の編集長が僕のためにいろいろ調べてくれて、最終的に当時サッカーが強くて物価が安かったボリビアを勧められました。サッカーに対する熱量がすごかったのですぐにでも行きたかったのですが、母親に高校卒業まであと3か月だから、お願いだから高校は卒業してくれと言われて。高校の卒業式の夜に飛行機に乗ってボリビアに向かいました。

 

── 卒業式の夜に!それはすごいですね。むこうでの生活の見通しはついていたのでしょうか?

 

ですよ。さん:まったくです(笑)。ボリビアに向かう道中、トランジットで降りたサンパウロ空港でたまたま話しかけた韓国人にサッカーをやりたいと話したら、いい日本人の知り合いがいると。ボリビアに着いたら紹介してもらえることになりました。それで指定されたホテルで待っていたのですが、2日経っても来なくて。ボリビアは危険な国だという認識はあって、なにも食べずに部屋にこもって待っていたのですが限界で…。日本人だとバレないように顔を隠して町の食堂へいきました。でも、メニュー表がスペイン語なのでまったくわからないわけです。適当に指を指して注文をしたのですが、指したメニューがまさかの誕生日ケーキで…。急に店内が暗くなって、スタッフの方がバースデーソングを歌いながら目の前にケーキを運んできてくれたのには驚きましたね(笑)。

 

紹介者はもう来ないかもしれないと思い、諦めようと思った3日目に、ようやく来たのが日本人の大学生でした。彼はルームシェアでボリビアのプロサッカー選手と一緒に住んでいる方でした。彼の紹介でそのチームの育成チームに入れてもらえることになり、さらにはルームシェアできる住まいまで紹介してもらえて。感謝してもしきれないですね。

 

ですよ。
ボリビアにはツテもなくひとりでのりこんだ

── それからどれくらいボリビアにいたのでしょうか?

 

ですよ。さん:紹介してもらったチームに18〜20歳までいて、21歳で2部リーグの練習生になったのですが、結局プロになれずに帰国しました。帰国後に日本のチームに連絡しまくって徳島ヴォルティスの練習生になれたのですが、それも2か月ほどでダメになってしまい、サッカー選手への道は諦めました。