ゴミ屋敷にパチンコ通いの大学生活が車椅子で一変

寺田ユースケ
イギリス留学時の寺田さん

── 大学生のときに車椅子に乗り始めたそうですね。きっかけは何だったのですか?

 

寺田さん:19歳で車椅子に乗り始め、その便利さに「シンデレラのかぼちゃの馬車みたい!」「革命が起きた」と感動しました。間違いなく、人生の最初の転機だと思います。

 

大学に入学後は両親の方針もあってひとり暮らしとなったのですが、新しく出会った学生や好きになった女の子に自分の障がいを受け入れてもらおうと焦って言動が空回りし、大学生活にまったく溶け込めませんでした。キャンパスが広くて移動するだけで汗だくですし、歩くのに必死で会話を楽しめないし、自分の歩き方を人に見られるのが嫌で仕方なくなりました。だんだん大学から足が遠のき、家の中も着る服もどうでもよくなり…。気づいたらゴミ屋敷みたいな部屋に住んで、同じ服を着て、パチンコ屋通いをするようになっていました。

 

── 大学にも通わなくなってしまったと。

 

寺田さん:はい。絵に描いたような堕落した生活でした。人生どん底のような気分で「このままではだめだ」と思っていたときに、母親や周囲から車椅子を勧められていたことを思い出し、あまり気は進まないけど一度乗ってみようと思いました。僕のなかでは、車椅子に乗るのは負けで最終手段というか、歩けるうちに乗るものではないという意識がずっとあったので、それまではずっと拒否していたんです。

 

「とりあえず1週間だけ」という気持ちで乗ってみたら、友達と同じスピードで会話をしながら移動できるし、汗をかかないし、足は痛くならないし、本当に快適でした。変な意地を張らないで、何でもっと早く乗らなかったんだろうと思いましたね。そこからは外に出て人と会う機会が増えたので、身なりにも気をつけるようになりました。車椅子に乗るようになったことで行動範囲が広がり、大学4年生ではイギリス留学を経験しました。

 

── 車椅子が気持ちを前向きにしてくれたんですね。

 

寺田さん:引きこもりとパチンコ通いからの脱却です。留学に関しては就職活動を控え、車椅子というハンディキャップがあるぶん、語学力を磨きたいという気持ちがありました。

 

イギリス留学ではホームステイを希望したのですが、脳性まひで車椅子だと受け入れてくれる家庭がなくて、寮生活になりました。でも、寮では同室のスペイン人が、毎晩友人を呼んで騒いでいたので、英語の勉強どころではなくて困ってしまって…。居場所がない僕が向かったのが、パブでした。パブの主人が「そんなに英語が勉強したいならずっと居てもいいよ」と言ってくれて、夕方の5時ごろから深夜の3時くらいまで“パブステイ”していました。常連客のおじさんたちとずっと話していたので、生きた英語を学べたのはよかったのですが、覚えたのが酔っ払い英語だったという欠点はありました(笑)。

 

そこでおじさんたちが、イギリスには『Mr.ビーン』のような、マイノリティやイギリス王室ネタをブラックジョークにするテレビ番組や、モンティ・パイソンのように毒々しい社会風刺が得意なコメディグループがいることを教えてくれて、自分の障がいや短所を笑いにするのもありなんだな、日本でもできたらいいな、とお笑いに関心を持ちました。それがきっかけで帰国後、一般企業に就職せず、お笑いに挑戦することになりました。NSC吉本総合芸能学院に入校したんです。

 

 

イギリス留学での経験から、就職せずにお笑い芸人を目指すことにした寺田さん。障がいを笑いにすることを目指しましたが、当時の日本ではまだ難しく、志半ばで挫折。その後、乙武洋匡さんの紹介で、歌舞伎町でホストとして働くことに。その経験を通し、障がい者として差別されたくないと思っていた自分が、ホストをひとくくりにし、偏見の目で見ていたという大きな気づきがあったそうです。

 

PROFILE 寺田ユースケさん

てらだ・ゆーすけ。1990年名古屋市生まれ。YouTube「寺田家TV(チャンネル登録者 約10万人)」を運営。先天性の脳性まひのため、首から下が不自由。関西学院大学卒業後、お笑い芸人とホストを経験する。車椅子を押してもらいながら47都道府県を旅する「車椅子ヒッチハイクの旅/HELPUSH(ヘルプッシュ)」を実行後、現在は妻と息子と長野県で暮らす。ユニバーサルツーリズムに関する新規事業「MinQ(みんきゅ~)プロジェクト」の活動に尽力中。

取材・文/富田夏子 写真提供/寺田ユースケ