現場に行って取材をしたいと思いながら

東海林のり子
テレビの裏では同業者との戦いも

── いわゆるマウンティングをされていた、ということでしょうか。華やかなポジションにいた東海林さんへのライバル心だったのかもしれません。

 

東海林さん:敵対視されていた、という意味ではそうだったのだと思います。でも、当時の私には切り抜けられなかった。そういう日々がしばらく続いた結果、「ああ、もういいや」と精神的に疲れてしまったんです。それが現場から離れた理由の2割くらいを占めています。

 

── その後は司会者としても活躍されましたが、現場から離れたことへの後悔はありましたか。

 

東海林さん:悔しさや心残りはもちろんありますよ。その後に大きな事件が起きるたびに、「現場に行って取材をしたいな」という思いが湧き上がっていましたから。でもそれと同じくらいに、自分は仕事にプライドを持って100%をやりきったという気持ちもたしかにあるので、悔いはありません。それはたぶん、どんな仕事でも同じではないでしょうか。

 

それに令和となった今は、番組の作り方が、私が現役だったころとは大きく変わっていますよね。私が司会を務めていた番組の第1回で、オウム真理教の村井秀夫氏がゲストで出演したんのですが、彼がスタジオから出たほんの5分後くらいに「村井が刺された」という緊急ニュースが入ってきて、現場に駆けつけたカメラマンが犯行で使われたとされるナイフを生中継していましたから、今の時代であればとてもできない放送の仕方でしょう。

 

現場リポーターの存在意義も変化しました。名古屋や大阪の報道局にはまだプロのリポーターが何人か残っている印象がありますが、いわゆるワイドショーにレギュラー出演しているTVリポーターはもうほとんど見かけませんよね。それがテレビ番組の現場にとっての進化なのか、そうでないのかはわかりませんが。

 

 

「じゃあ家のことは俺がやるから大丈夫だよ。あなたは仕事でナンバー1を取ってこい」。家庭と仕事を両立する女性がまだ珍しかった時代、東海林さんがリポーターとして活躍できた背景には、家族の支えがありました。妻を支えた3歳年下の夫と、隣人に嫌味を言われても母を責めなかった2人の子どもたち。悲惨な現場で気持ちが落ち込む日もあるなかで、家族の存在に何より救われてきたそうです。

 

PROFILE 東海林のり子さん

しょうじ・のりこ。フリーアナウンサー、リポーター。1934年、埼玉県生まれ。57年、立教大学文学部卒業後、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。70年に退社後はフリーランスの芸能リポーターとして「3時のあなた」「おはようナイスデイ」などの事件リポーターとして名を馳せる。95年、リポーター職から引退。2024年、90歳で初のYouTubeチャンネル「東海林のり子現場に直撃チャンネル」を開設。

 

取材・文/阿部花恵 写真提供/東海林のり子