夫のDVや散財「地獄の夫婦生活」だった
── 超えていた「はず」とは、どういうことでしょう?
井出さん:新幹線で隣の席に乗り合わせた縁で、当時の夫とは結婚しました。正直、顔に惹かれて選んだんです。それが後の人生を狂わすことになるとも知らずに…。じつは稼いだお金のほとんどが、夫に使われてしまって。
あるとき、漫画家は不安定な仕事だから稼げるうちに不動産を持とうと思い、「マンションを2つ選んできて」と頼んだら、外車のポルシェを買って帰ってきました。そこから毎月のように高級外車を買い換えるんです。1億円以上は使ったでしょうね。文句を言おうものなら、殴る蹴るの暴力が始まり、食事をとらせてもらえない。肋骨を骨折したこともあります。そのうち、子どもにも暴力を振るうようになって。それがいちばんつらかった。夫がいない日の食卓は、つかの間の幸せな時間でした。
── いまでこそDV被害者のシェルターなどもありますが、当時はまだそういう時代ではなかったですね。
井出さん:DVを防止する法律はなく、相談しても「夫婦ゲンカ」で済まされていた時代ですから、誰にも助けを求められませんでした。夫のDV、虐待はどんどんひどくなり、あるときは、長女が飼い始めた猫を「こんな猫、捨ててやる」と、家の前の池に投げ込んだことも。こういうことが毎日のように起こるのですから、まさに地獄でした…。
圧倒的な暴力を前にして思考停止に陥り、夫の機嫌が悪くならないようにお金を渡すしかなかったんです。浮気グセもひどく、外に子どもまで作る始末。離婚したくても、夫にとって私は金づるでしたから、離婚になかなか応じてくれない。最終的に、夫の作った3000万円ほどの借金を肩代わりすることを条件に離婚が成立し、結婚生活は約16年で終わりを迎えました。いまでも、自分の人生のなかでやり直したいと思うのは、元夫と暮らした時間です。

── 壮絶な経験をされてきたのですね。そんな状況のなかでも漫画を描き続けてこられました。
井出さん:夫への憎悪が、漫画を描く力になっていた部分はあります。夫の前では憎しみを抑えたフリをしていたけれど、心の中では何度も「この世から消えてほしい」と願ったことか。自分のつらかった経験もすべて漫画のストーリーにしました。主人公が憎い相手をやり込めることで、うっぷんを晴らし、現実をしばし忘れることができたんです。
── 漫画の中の復讐劇は、井出さん自身の心の叫びでもあったのですね。
井出さん:そうですね。ほかにも、編集部に寄せられたたくさんの経験談や周りからの相談ごとなど、漫画のネタにはこと欠きませんでした。私の漫画は、最後は必ず主人公が幸せになる、あるいは、幸せになる兆しが見えるような結末にしているんです。読者が苦しみから抜け出すためのアドバイスや、DV夫をあざむく方法なども盛り込むようにしていました。いま、つらい境遇に置かれた人も、いつか幸せになれる。だから、したたかに生き抜いてほしい。そんな思いを込めています。
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プライベートで手痛い目にあってもめげずに漫画を描き続ける井出さん。つらい経験も漫画のネタにしますが、人生悪いことばかりではありません。初期の作品があの世界的ブランド「GUCCI」から評価され、コラボの依頼が舞い込んできたこともあったそうです。
PROFILE 井出 智香恵さん
いで・ちかえ。1948年、長野県生まれ。1966年、少女漫画誌『りぼん』にて『ヤッコのシンドバット』でデビュー。1968年、『ビバ!バレーボール』がヒット。1980年代からは、成人女性向けの漫画に活動の場を移し、たくさんの作品を生み出し続けている。代表作に『羅刹の家』『嫁と姑“超”名探偵』『人間の証明』など。
取材・文/西尾英子 写真提供/井出智香恵