いくら仕事が順調でも、素敵な夫(妻)に出会っても、それが永遠とはいかないのが人生の難しいところ。77歳のいまも漫画を描き続ける井出智香恵さんが歩んできた人生は、壮絶なものでした。(全3回中の2回)

少女漫画でデビューも仕事が激減からの起死回生

── 御年77歳にして、現在も現役で活動を続ける人気漫画家の井出智香恵さん。大人の女性向け漫画の世界で長年活躍していますが、もともとは少女漫画でデビューされたそうですね。

 

井出智香恵
壮絶な夫のDVを受けても…3人の子育てをまっとうした井出さん

井出さん:そうなんです。高校卒業後、漫画家になるために上京し、としまえん(2020年に閉園)で働きながら漫画を描いて編集部に持ち込んでいました。その後、1966年に集英社の少女漫画雑誌『りぼん』でデビュー。68年には『ビバ!バレーボール』という漫画がヒットし、ようやく漫画家として食べていけるようになりました。画風もいまと違って、でっかいキラキラお目目の少女漫画テイストで、主人公たちの友情や恋、挫折や成長などの人間ドラマを描いた作品でした。2年半ほど連載が続き、コミックは全6巻発売されています。

 

── そんな正統派の少女漫画を描いていた井出さんが、なぜ大人の女性向け漫画に活動の場を移すことになったのでしょうか?

 

井出さん:生きていくためでした。『ビバ!バレーボール』の連載終了後、いくつか作品を出しましたが、なかなかヒットせず、次第にオファーが減っていきました。1973年には原油価格上昇で「第一次オイルショック」が起こり、出版社も単行本が発行できないくらいの大ダメージを受け、私も仕事がゼロに…。なんとか小さな仕事をこなしながら食いつなぎました。

 

その後、78年に結婚し、3人の子どもに恵まれるものの、夫は定職に就かず、家庭も顧みない人でした。このままでは子どもたちを育てていけない…。途方に暮れました。そのころ、大人の女性向けに漫画の新ジャンルが登場したんです。ここにかけてみようと、知り合いの編集長に直談判したところ、創刊直後の雑誌で描かせてもらえることに。ありがたくて涙が出ましたね。子どもたちを抱きしめながら「この子たちにひもじい思いは絶対させない」と、心に誓ったことを覚えています。

過激な描写への偏見も「すべては生活のため」

── 3人のお子さんを抱えながら、激動の時代を生き抜いてこられました。大人の女性向け漫画といえば、過激な描写も多く、偏見を持つ人もいます。嫌な思いをされたことはなかったですか?

 

井出さん:見下すようなことを言う男性漫画家や、「なぜそんなのを描くの?」と心配してくる友人もいましたが、「だから何?私は子どもたちを食べさせていかなくちゃいけないの」と思っていましたね。それに、もともとミステリー好きで人間ドラマを描くことが得意だったので、泥沼の人間模様を描くこの世界とは相性がよかったんです。

 

連載漫画が評判になって執筆依頼が殺到し、アシスタントを10人雇って1か月に500ページを量産。編集部からは読者ウケのいい過激なシーンをもっと入れてほしいと頼まれていましたが、原稿を送ると「先生!今月過激なシーンがたりません!」と言われたり(笑)。同じジャンルで活躍する漫画家には森園みるくさんや、伊万里すみ子さんがいましたね。

 

『羅刹の家』
『週刊女性』で連載された『羅刹の家』が大ヒット

ただ、そうしたなかでもストーリーはつねに重視してきました。90年代には『週刊女性』で連載し、嫁姑バトルを描いた『羅刹の家』がテレビドラマ化されるなどしました。おかげで経済的にも潤い、年収は1億円を超えていた「はず」ですが、生活は苦しかったんです。