4年越しに悲しみ「全然、大丈夫じゃなかった」

── お子さんを亡くしたあとで、お父さんも亡くなって。どうやって心を保っていたのですか。

 

仲宗根さん:きっとお母さんがいちばん悲しいだろうから、「お母さんのケアが最優先で自分の感情なんてあと回しだ」と。とにかく強い自分でいようと思っていました。でも、悲しみを先延ばしにしているだけで、私の中から寂しいという感情がなくなるわけじゃないんです。知らぬ間に傷はどんどん重く、深くなってしまっていて。それでもなんとかやってきたのですが、コロナ禍で急にメンタルが落ちてしまったことがありました。

 

仲宗根泉さんの父と娘
かわいがっていた孫とバイクに乗る仲宗根泉さんの父

コロナ禍で仕事がいったんストップしたときに、音楽活動後、初めてというくらい長いお休みをいただきました。人と会うこともまだ避けていた時期で。こんなに誰とも会わない期間は今までになく、ずっと娘と2人きりという生活になりました。HYというグループをスタートさせてから初めて、自分だけの時間ができたんです。

 

── 忙しいときには気が紛れていても、時間ができると考え込んでしまう方は多いと思います。

 

仲宗根さん:当時、芸能人がコロナや自殺で亡くなるニュースもあったと思いますが、私も他人事とは思えませんでした。夜、ベランダで空をふと眺めていたらお父さんのことが急に思い出されて。「私って、こんなにお父さんのこと好きだったんだ」と、自分でも驚いたくらいでした。父が亡くなってからもう4年も経っていたのですが、それまで笑顔で取り繕えていたので「意外と自分はもう大丈夫かも」と思っていたんです。でも、本当はただ目を向けないようにしていただけで全然、大丈夫なんかじゃなかった。

 

── お父さんが音楽に触れるきっかけを作ってくれたと伺いました。

 

仲宗根さん:お父さんには感謝しているところはたくさんあるのですが、すごく厳しい人だったので、小さいころは「よその家の子になりたい」と思っていました。お父さんがいない家の子が羨ましいと思うこともありましたね。でも、そんなお父さんのことは嫌いとも言えない。やっぱり愛情深い人でしたし、普段、近くの公園には一緒に行ってくれないけれど、海や川、山にキャンプには連れて行ってくれて。自然を感じて、匂いや色を目で見て心で感じろ、というタイプの人でした。「緑ひとつとっても、同じ緑なんてないんだ」と。そういう体験の一つひとつが、私が曲作りの原点となっていて、歌詞になったり、音になったりしているのですが、破天荒なお父さんがいなければ家族は平和になるのかなとも、正直思っていました。複雑でしたね。

 

── お父さんが亡くなってからその思いに変化はありましたか。

 

仲宗根さん:こうと言ったら聞かない人でしたから、「これだけ家族に迷惑かけてきた人が亡くなったら、お母さんは楽になるかな」とも思っていました。でも、自分が思っていた以上に「私はこんなにお父さんのことを思っていて、大好きだったんだ」と気づいて。失って初めて、というのはこれかと思いました。

 

息子を亡くした悲しみが癒えていないまま、数年経ってお父さんの死の傷を感じ始めて。それがダブルで襲ってきたら、「なんで自分はここにいるんだろう、こんな思いをして生きたくない」とまで考えてしまっていました。もう離婚もしていましたから、娘のことはどうしよう…と。

 

── そんなことがあったんですね。

 

仲宗根さん:でも、やっぱり私を引き留めてくれたのは娘の存在でした。私が自分で自分を…となったら娘はどういう思いをするんだろうと考えたら「これからがある娘の人生をつぶすのはダメだし、あまりにもかわいそうだ」って。

 

娘はことあるたびに、「じじに会いたい」と言っていました。お父さんは、娘のことを本当にかわいがってくれていて、私がツアー中のときなどは寝かしつけなんかもしてくれていました。娘のショックは相当大きかったと思います。こんな状況で、さらに母親である私までいなくなってしまったら、娘はどうなってしまうんだろうと。そう考えたらようやく「正気に戻らないと」と思えました。お父さんが亡くなってからお母さんと娘と暮らしているのですが、今は娘とお母さんの人生を大切にしたいという思いで過ごしています。

 

HY
ライブ前に円陣を組むHYのメンバー

── 結束力も強そうですね。

 

仲宗根さん:今までお父さんがいたからワガママが言えなかった部分はあると思うのですが、お母さんが歳をとるたびにワガママになってきているような気がして。でも、それはそれでかわいいなと思います。お父さんが生きているときにしてこなかった友達との時間を作ることや、旅行なども勧めています。「再婚してもいいんだよ」と言ったら「もう男のめんどうは見たくない」と(笑)。

 

私もお父さんのことで学んだので、家族のことではもう絶対に後悔はしたくないんです。「あれをしてあげたかったのに、こんなふうにしたかったのに」なんてもう2度と思いたくない。この世でいちばんお母さんを思っている私が、ずっとそばにいてあげたいですね。

 

 

息子さんの死産のあと、離婚しシングルで子育てをしている仲宗根さん。同じ境遇の友達との絆もあって、ひとり親だと感じることはないと話します。「今のほうが仲がいい」と話すほど元夫とも現在の関係は良好で、娘さんからは「彼氏は作らないで」と言われているそう。娘の人生も背負う覚悟で悩み抜いて決断した離婚に、「一生独身でいる覚悟」だと話す仲宗根さんの言葉には、娘を育てる責任感が滲み出ていました。

 

PROFILE 仲宗根泉さん

なかそね・いずみ。1983年沖縄県生まれ。沖縄を拠点に活動しているバンド「HY」のキーボード&ボーカル。HYは2000年結成。紅一点の仲宗根泉は、ストレートな楽曲と、時には厳しく、時には面白おかしく、個性溢れるキャラクターが男女問わず支持されている。一児の母であり、仕事と家事を両立することの難しさを感じながら、ひとつひとつ向き合いながら歩んでいる彼女のもとには年齢問わず、恋愛相談、人生相談を求める声が多い。HYとしては、バンド結成25周年記念全国ホールツアー開催中。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/仲宗根泉