「HY」の仲宗根泉さんは、お子さんを死産した年にお父さんも亡くしたそうです。母のケアを優先にしてきたものの、コロナ禍で4年越しの悲しみに襲われて── 。(全4回中の3回)
父との電話のあと亡くなったことを知って
── 妊娠6か月でお子さんを死産され、同じ年にお父さんもお亡くなりになったそうですね。お父さんは強引ながらも仲宗根さんが音楽を始めるきっかけを作った人だったと伺いました。
仲宗根さん:「神様、私、何か悪いことしましたか?」と思うくらい、不幸が続きました。自分の人生がいいものだとはもともと思っていなかったのですが、息子を亡くして、そのあと離婚をして。その数か月後にお父さんも亡くなったので、その年は本当につらかったです。

── お父さんが亡くなった日は、ツアー中だったそうですね。
仲宗根さん:子どもを亡くしたあともすぐツアーがあったのですが、父を亡くした日もツアー中でした。でも、その日はすごく大きな台風が来ていたので、ライブが延期になったんです。3日間、スケジュールが空くので沖縄に帰れることになりました。娘は沖縄の実家で見てもらっていました。
亡くなる日の朝、私はお父さんと電話で話していたんです。数日前から体調が悪いとは聞いていたのですが、その日も「ちょっと苦しいな」と言っていて。「だからお医者さんから『お酒は飲むな』って言われてるでしょ、それはお父さんが悪いよ」といつも通りの会話をしました。お酒は飲まないでくださいと医者から言われているのに、お父さんは忠告も聞かず逆ギレして、「自分の体だから自分で直す」と言い張っていたようなんです。
2時間後にまた電話がかかってきたのですが、そのときのお父さんはあまりしゃべりませんでした。よく、昔から寝たふりをして急に起きて脅かすというようなおふざけもしていたので、あまり疑問にも思わず「いつものあれか」と。「沖縄に帰る準備があるから、お父さんもう切るよ」と言って電話を切りました。飛行機が沖縄に着いた瞬間、ラインや電話がたくさん入って、弟からお父さんが亡くなったことを聞きました。
── 電話がお父さんとの最後のやりとりになってしまったんですね。
仲宗根さん:亡くなった時刻を聞くと、父から私の携帯に着信が残っていました。それが最後です。きっと私に助けを求めていたんでしょうね。あのとき、私が「いつものおふざけでしょ」なんて思わず、すぐにお母さんに電話していたら、何か状況は変わったのかなという後悔がずっと残っています。