腕立て伏せができないのにプロレスラーに

── 入団テストには無事、合格されましたか?

 

広田さん:全部で6人ほど受けたなかで、受かったのはなんと私だけ。後で聞いたところでは、合格者なしのつもりが、「おもしろそうだから広田を入れてみよう」ってなったみたいです。やっぱり「なんとしても受かってやる」っていう意気込みがいちばん強かったんじゃないかと思います。

 

広田さくら、長与千種
師匠の長与千種さんとの貴重なツーショット

── お母さんからは反対されませんでしたか?

 

広田さん:報告したら「あんたはそういうふうになると思ってた」って言われましたね。それがプロレスラーを指していたのかはわからないけれど、たぶん大多数の人が進むような道ではなくて、やりたいことを自分で見つけるっていう意味で言ってくれたのではないのかなって思っています。

 

── 入団されてからは、厳しい練習の日々だったかと思います。

 

広田さん:入団した翌日から始まったトレーニングは本当にキツかったです。体力テストは私がいちばんできなくて、腕立ても0回からのスタートでした。しかも、練習生として1年が経ち、デビューするはずだった4月のプロテストで落ちてしまって。本当は旗揚げ記念の目玉としてデビュー予定だったのに、私だけレベルが間に合っていないと言われたんです。当日は「広田さくらは調整不足のためにデビューには至りませんでした」と張り紙が貼られて。そんな状況でも売店の手伝いをしなければならず、本当にいたたまれなかったです。

 

── でも、その年の8月には無事デビューされていますよね。

 

広田さん:プロテストに落ちてからは、朝から晩までひたすらスパーリングをやりました。長与さんが竹刀を持って稽古をするっていうのが当たり前の風景でしたね。みんな泣きながら、ときに血を流しながら練習していました。

 

広田さくら、長与千種
長与千種さんとタッグを組んだ試合での1枚

── 一度挫折を味わってから武道館でデビュー。当日はどんな気持ちで迎えましたか。

 

広田さん:当時は新人が武道館でデビューするのは珍しかったので、周りからの反発がすごかったんです。しかも、デビュー後の勝率は鳴かず飛ばずで。私が試合中に何をやっても、お客さんの歓声はなく、手ごたえもなかった。しばらくはもがきながら試合をしていました。