昨年Netflixで話題となった、ダンプ松本さんのレスラー時代を描いたドラマ『極悪女王』。これがきっかけで、女子プロレスが再び盛り上がりを見せています。なかでも異彩を放っているのが、広田さくらさん。キャリア29年になるベテランですが、子役からレスラーという異色の経歴の持ち主です。(全2回中の1回)
目立ちたいという理由だけで『中学生日記』に出演
── NHKで放送されたテレビドラマ『中学生日記』への出演が芸能界の第一歩だったそうですね。どういった経緯があったのでしょう。
広田さん:私は名古屋出身なのですが、当時通っていた名古屋の中学校に出演者募集の案内が来たんです。演劇部の子がオーディションを受けると聞いて、演技経験もないのに目立ちたいという理由だけで私も受けることに。そうしたら、演劇部の子が落ちて、なぜか私だけが受かったんです。

── お芝居をもともとやりたかったのですか?
広田さん:いえ、目立ちたがり屋の延長に『中学生日記』があったっていう感じでした。でも撮影に実際に参加してみたら、芸能事務所に所属してタレント活動している子たちがいっぱいいて。その生徒の個性を生かした役柄を与えられるので、私は三枚目役のポジション。演技をしていたというよりは、ヒロインの横にいるおもしろい子、みたいな役でした。
── 今のプロレスのスタイルにもつながる部分がありますね。
広田さん:当時から、目立ちたい精神だけはあって(笑)。初回から目立つ役を任されてうれしかったですね。撮影に参加した約3年間のうち何回かは、重要な局面でセリフをいただきました。でも単純に『中学生日記』に出たくてやっていたので、その後は事務所からスカウトされることはなく。芸能活動は高1で辞めました。
── 学生時代はどのようなタイプの子だったのですか?
広田さん:中学生時代はちょっとヤンチャでした。ソフトボール部に所属していて、部活は真面目にやっていたけれど、勉強はあまりしなかったかな。部活は頑張るけど家では反抗するみたいな、スポーツマンヤンキーでしたね(笑)。
でも、母子家庭だったので親に負担をかけたくなくて、中3からは一念発起して勉強に取り組みました。それで公立の進学校に合格できたのですが、すぐに授業についていけなくなってしまって…。大学進学を目標にしていたわけでもなかったので、夏休み前に学校を辞める決断をしました。
── そうだったんですね。高校中退後はどう過ごしたのですか?
広田さん:「もう勉強しなくていいんだ」っていう開放感から、地元の中学の友達と朝から晩まで遊んでいました。でも夏休みが終わったら、当然ですがみんな学校に戻ってしまって。これではダメだと思い、翌年に畜産高校に再入学しました。でも、遊びグセがついていたこともあり、入学後2か月ほどでまた学校を辞めちゃったんです。自分に合わないとなったらすぐに次!ってなっちゃうタイプというか…そこで頑張って辛抱することができなかったんですよね。
そんななか、「将来、どうしよう」って悩んでいたときに出会ったのがプロレスでした。当時、WOWOWでJWP女子プロレスの試合が深夜放送されていて。小柄なキューティー鈴木選手が、ダイナマイト・関西という173cmの長身選手に「スプラッシュマウンテン」という技をかけられていました。相手選手を肩までかついで落とす技です。でも、キューティー鈴木選手は、リングに叩きつけられても復活するんですよ。「私もやってみたい!」とそれを見て思って。観客の声援や盛り上がり方も衝撃的でした。ずっと居場所を探してきて、リングに立つ女子プロの世界こそが自分の居場所なんじゃないかって感じたんです。

── そこからすぐに入団したのですか?
広田さん:プロレスの経験や知識がないのに、長与千種さんが代表を務めていた「GAEA JAPAN(ガイアジャパン)」という団体にすぐに電話して、オーディションを受ける準備を始めました。運動経験は学生時代のソフトボールくらいでしたが、体力をつけるために神社の境内を上り下りしたりして。あとは履歴書に書くためだけに1か月だけ空手と柔道を習いました。1週間に1回程度しか練習がなかったので、トータル3回くらいしか練習していないのに、履歴書には「経験あり」と書きましたね(笑)。