15歳からアーティストグループAAAのメンバーとして第一線を走り続け、現在、海外を旅しながらアーティスト活動を広げている與真司郎さん。2023年にはゲイであることをカミングアウトし、海外からも関心を集めました。そんな與さんがカミングアウトを決めた理由を、あらためてお聞きしました。(全4回中の1回)
「オーディション受けなよ」周囲から勧められ雑誌を見て応募
── デビューのきっかけから教えてください。

與さん:僕は小学5年生からずっとダンスをやっていました。中学3年のときに、このままダンサーの道を進むか迷った時期があって。まわりから「オーディション受けなよ」ってすごく勧められていたんです。でも、当時はダンサーという意識が強く、芸能界にはあまり興味がなくて。ヒップホップダンスに熱中していて、「ダンスの先生になれたらいいかな」と思っていました。
そんなときオーディション雑誌を買ってみたんです。そこにエイベックスの新人アーティストオーディションの記事があって、「やってみようか」と応募したら受かってしまって。14歳のときでした。その後、中学校卒業と同時に15歳で親元を離れて上京しました。

── まだ中学生だったんですね。受けたのは、AAA結成につながるオーディションだったのでしょうか。
與さん:そうですね。でも、当初は男子だけのグループを結成する予定だったと思います。エイベックスが初めて男子だけを対象にしたオーディションを開催することになり、僕はそのオーディションに合格したんです。その後、結局女の子のメンバーも入れてAAAが結成されました。とはいえ、当時の僕はあくまでダンサー志望で、ソロシンガーとしてやっていきたいというわけではなかったですね。
AAA時代の過酷な日々「若くてよかった(笑)」
── デビュー後はAAAとしてドームツアーを成功させ、またソロアーティストとしてもアリーナツアーを成功させるなど、2021年に活動休止されるまで第一線で活躍されていた印象です。
與さん:自分でも本当によくやってたなと思います。15歳から15年以上、AAAに自分のすべてを捧げるような毎日が続いていました。とにかく、メンバー・スタッフ一丸となって上へ上へと登っていくことを目標にしていて。毎日が挑戦の繰り返しで、休みは本当に少なかったですね。シングルは年8回発売したこともありましたし、春にはファンクラブイベントを開催して、後半にはライブツアーで全国を回って。
僕自身は、2016年にロサンゼルスへ移住したのですが、ロサンゼルスでもやらなければいけない仕事がたくさんあって、自分の時間を持つ余裕がないまま走り抜けたという感じです。今思うと、本当に若くてよかったなと思いますね(笑)。でも、あのころはそんな毎日が当たり前だと思っていたし、あのとき頑張ったからこそ今の結果が見えてきたと思うので全然、後悔はありません。
── AAA時代、特に楽しかった思い出として印象に残っていることはありますか?
與さん:いちばん楽しかったのは、やっぱりライブですね。どんなに忙しく時間に追われて、大変なことがあったとしても、ライブのステージに立つと「頑張ってきてよかったなぁ」って報われた気持ちになるんです。何よりも、ファンのみなさんの声が直接聞けたり、表情を見ることができたりするのは、僕にとってすごくうれしい時間でした。