2003年に「ゲッツ!」の一発ギャグでブレイクしたダンディ坂野さん。ブレイク後、テレビの露出は減ったものの、「一発屋」としてたびたびお茶の間を賑わせるように。長年にわたり広告に起用され続けるなど、息の長い活躍を続けています。長年愛され続ける秘訣は何なのでしょうか。(全4回中の3回)

「僕、一発屋界隈では位が高いんです(笑)」

── 2004年以降、テレビでの露出が減ってから、ダンディさんが再び流れを掴んだきっかけはあるんですか?

 

ダンディさん:僕みたいな変わり種というか、キャラが強い芸人が出てきてから、またいい流れが来たりするんです。僕のあとに、まず波田陽区さんがブレイクするんですよ。2005年になると(レーザーラモン)HGさんが現れて、「フォー!」って腰振って。2006年には「ヒロシです」「ルネッサンス~!」とかいっぱい出てきて、僕はどんどん過去の人になる。ムーディ勝山の「チャラチャチャ、チャラッチャー」が始まると、僕は7年前の人。「そんなの関係ねぇ」が出てくると、8年前の人になって。「ワイルドだろぅ?」が出ると、10年前の人になって。「35億」「ひょっこりはん」とかが始まるともう20年ぐらい前の人で。そうなってくると、いつの間にか僕が「そこ(一発屋)のドン」みたいな扱いになっちゃって。

 

ダンディ坂野
地方営業に向かう新幹線にてお弁当をパクリ

だから僕、その界隈だと位が高いんですよ(笑)。歳が上だし、キャリアも長いから、いち目置かれるんですよね。それで、小島よしおくんが出始めたあたりから「一発屋」のパッケージができ始めたんです。「小島みたいなの、ほかに誰がいた?ゲッツいたな」って感じで、メディア露出や営業が増え始めて。

 

── いわゆる「一発屋」枠での露出が増えていったんですね。

 

ダンディさん:そのころから広告とかイメージキャラクター的な仕事が増えました。あとは、小島くんがきっかけで『ヘキサゴン』にもお声がかかるようになって。そのとき、MCの方に言われたんです。「ヘキサゴンは、若い子たちがおバカな回答をする。でも、お前がああいう回答しても全然おもしろくないからな。わかるだろ?」って。それで「はい、ちゃんと勉強します」と答えました。

 

──「おバカキャラ」の珍回答が話題になった番組ですね。

 

ダンディさん:そうそう。だから、芸人が同じことをしてはダメなんですよ。芸人にはそこそこ知識があって、おバカキャラの人に対して「おいおい」ってちゃんとツッコむから成り立つ番組だった。そういうふうに、うまく役割分担が考えられていた番組だったんですよね。だから、当時は勉強を頑張りました。1回だけ出演者の筆記テストで1位だったことがあるんですよ。それが僕、いまだに自分の中で自慢ですね。

 

ダンディ坂野
後輩から慕われ、誕生日祝いをしてもらうダンディさん

── ご自身の中で「一発屋」という枠組みで出演することを、受け入れたタイミングってあったんですか?

 

ダンディさん:一発屋と呼ばれること自体は、いまだに抵抗感はあります。ただ、そういうカテゴリーがあって、僕はそこに参加してるだけっていう感覚、というのかな。

「サンミュージックのCM王」になった今

── 2022年当時、当時のCMなど企業との契約件数が34件で、過去最高だったと聞いています。今も「サンミュージックのCM王」的存在だそうですね。

 

ダンディさん:以前、うちの事務所にはあるCM女王が所属していたんですけど、本数だけだと2008〜2009年ぐらいから僕が抜いて、いちばんをキープしてるんじゃないかと思います。ここ十数年は、おそらく僕がトップだと思います。

 

ダンディ坂野
ドナルドマクドナルドハウス(病気の子どもと家族のための滞在施設)のキャンペーンに参加するダンディ坂野さん

── 本数的には今はどのくらい契約があるのでしょうか。

 

ダンディさん:今はどうですかね、契約が終わっていたり、写真だけお貸ししているパターンもあるので。でも、12、13本ぐらいはやらせていただいているんじゃないかな。

 

── 生々しい話で恐縮ですが、収入面もブレイク当時と変わらずなのでしょうか?

 

ダンディさん:それをあんまり言ってしまうと、ね(笑)。一発屋枠で集まってテレビ出たときに「昔は忙しくてすんごいお金もらっていましたけど、今はヒマなんです。こんな仕事をちまちまやってて大変なんですよ」っていう話を求められてるのに、「僕、今CM十数本やって、なんなら前よりも稼いでます」みたいなことを言っちゃうと、「は?お前、帰れよ」ってなっちゃうじゃないですか。

 

「ヒマでやることない」「YouTubeは登録者50人」とか悲惨な話も入れないと。みんないい話ばっかり聞きたくないから。(明石家)さんまさんからも「お前、いい話ばっかりだな」とか言われますし。まあ、だからそういう話は自分からは発信しないほうがいいかな、っていうのはありますよね。でも、おかげさまで、たくさんの企業さまに声をかけていただいて、一生懸命やらせてもらっています。

テレビにしがみつかなくても道はある

── 企業から愛される秘訣はありますか?

 

ダンディさん:秘訣かどうかはわかんないですけど、CMが増え始めたときの僕の思いとしては、その企業のイメージアップや、お客さまに喜んでもらえたりものが売れたりするように…と考えながらやる、というのがひとつ。

 

ダンディ坂野
御年58歳ですが、20年前と変わらぬスタイルをキープしています

もうひとつは、僕自身のことを伝えるCMでもある、という思いでやっていました。「こんなCMをやっているから、ほかの企業の皆さんもいかがですか?」「また私にお仕事をお願いします」っていう気持ちでやっていました。

 

── CMへの意気込みがすごいですね。

 

ダンディさん:そこが自分の活路というか。自分の置かれている立場やどこに需要があるかがわかっていたから、この道で長年やってこられたところもあると思うんです。テレビにだけしがみついて、いつまでも違うものを追いかけていても仕方ないじゃないですか。

 

そうしなくても、広告や地方営業の仕事はあるし。そこで頑張っていけば、また何かチャンスがあるかもしれない。もちろんチャンスがあればテレビも頑張りたいんですけど、広告や地方イベントステージが、今の自分の仕事だなと思ってやっています。

 

── 素敵です。幸せ度合いとしては、2003年当時よりも今のほうが高い?

 

ダンディさん:そうですね。まぁでも、2003年に売れ始めたときの喜びというのは特別なものがありました。ずっと追い求めてきた芸能界で、テレビに出て、どこに行ってもちやほやされて、キャーキャー言われて。「すげえ!やった!」って。ただ、そこから22年経ちましたけど、僕としては今もずっといい感じです。