「ゲッツ!」の一発ギャグで一世を風靡したダンディ坂野さん。ブレイクのきっかけは2003年、マツモトキヨシのCMに起用されたことでした。現在トレードマークとなっている黄色いスーツも当時CM衣装として用意されたもの。本人は「他力本願」と語る、ブレイクの裏側を伺いました。(全4回中の2回)

NHK『オンバト』に23回出場するも7回しかオンエアされず

── 上京からブレイクまでは10年かかったとか。ご苦労されたのではないですか?

 

ダンディさん:実はあんまり苦労してないんです。10年間、楽しかったですよ。26歳で上京して養成所に2年いた後、サンミュージックにお世話になって。33、4歳ぐらいで『爆笑オンエアバトル(オンバト)』(NHK)に出してもらったんです。当時は知名度なんてほぼなかったですが、一部では熱狂的なファンがいたとかいないとか(笑)。

 

合格しなくてオンエアされなかったときも「ダンディが見たかった」という声がNHKに届いたらしくて。でも、23回出場して、7回しかオンエアされてないんです。16回はステージでネタはやったけど、テレビに映らなくて。

 

ダンディ坂野

── 観客が審査して合格した人だけがオンエアされる仕組みでしたよね。精神的に追い込まれなかったのでしょうか…?

 

ダンディさん:追い込まれますよ、結構。当時のNHKのスタッフさんも、よく出してくれましたよね。普通、受からなくなってくると「じゃあ、もう違うやつを出そうか」ってなりますよね。それでも23回も出してもらえた。僕も呼んでもらっているからには、どこかでお礼しないと…っていう思いがありました。

 

でも最後に出た回は、自分としては最高点で合格してオンエアされました。そのときは、もうマツモトキヨシさんのCMに出ていたので「オンバトからまたひとりスターが出た」みたいな空気感があって。

 

その回は、自分でも合格しそうだなと思ったんですよ。ステージに出た瞬間から、お客さんが「ダンディー!」みたいになってましたから。その瞬間、自分が子どものころからずっとなりたかったのは、こういうことだったんだって思ったんです。みんなが自分の名前を呼んでくれて、手を振ってくれて。そこから、『うたばん』(TBS系)とか『内村プロデュース』(テレビ朝日系)でもよくしてもらって、いっぺんにブレイクした感じですね。