2003年、「ゲッツ!」の一発ギャグでブレイクしたダンディ坂野さん(58)。養成所時代はアンタッチャブルなど未来のスターの才能を目の当たりにするも「自分は彼らとは違う」と、好きだったアイドル歌謡とアメリカンコメディを掛け合わせた独自のスタイルを貫きました。(全4回中の1回)

トシちゃんに憧れてアイドルを志すも

── もともとアイドルがお好きだったそうですね。

 

ダンディさん:そうですね。トシちゃん(田原俊彦さん)が好きで、ああいう方たちと一緒にテレビに出たいな、と夢見ていましたね。ただのミーハーな子どもでした。

 

ダンディ坂野
駒込警察署1日署長を拝命し「ゲッツ」するダンディ坂野さん

── どんな子ども時代だったんですか?

 

ダンディさん:普通でしたよ。もう50年も前なんで…。昔の子って、趣味趣向がみんなおんなじなんですよ。今みたいにネットはないし、娯楽は雑誌とテレビしかなくて。今の子はアニメが好きな子もいれば音楽が好きな子もいますけど、当時は情報が同じなので。

 

── 26歳で地元・石川県から上京されたそうですね。

 

ダンディさん:そうですね。高校を出て、しばらくは地元で働いていたんですけど、26歳のときにお笑い事務所の養成所に応募して、入れていただいたんですよ。僕は2期生だったんですが、1期生にアンジャッシュ、3期生にアンタッチャブルがいて。彼らはそのままその事務所に所属して、今もバリバリ第一線でやっていますけど。僕はその事務所とはご縁がなくて、個人で活動をした後に、今サンミュージックの社長になったブッチャーブラザーズさんに拾われる形でお世話になっています。

 

── 養成所時代のアンジャッシュやアンタッチャブルの印象はいかがでしたか?

 

ダンディさん:養成所に入ってきたときは、アンタッチャブルの2人は18歳でしたけど、おもしろかったですよ。センスがあるって、こういうことなんだろうなって。だから、彼らを見てみんな辞めていくんですよ。「こういう人が売れるんだろうな」ってわかっちゃうから。

 

でも僕が諦めなかったのは、僕は彼らとは違って「アイドルになりたい、共演したい」という動機があったから(笑)。芸人というよりバラエティ番組で頑張りたいという思いもあったので、彼らとはスタイルが違うな、と。僕も当時はコンビでしたが、養成所の2年目で諦めてコンビを解消。自分で「ダンディ坂野」という名前をでつけて、ピンで活動を始めました。