保護司に必要なのは家屋敷の広さじゃない

中澤照子、小林幸子
小林幸子さんと元ワルくんたちと

── YouTubeやXでの発信もされています。

 

中澤さん:「更生カレー」のレトルトを作ったときに勧められて、80歳でYouTubeを始めました。もちろん撮影や編集を1人ではできないから、「元ワルくん」とそのきょうだいや知り合いの方に協力してもらってやっています。Xは電車の中でひとりでもできるのがよくて始めました。こうやっていろいろと発信を続けていれば、昔めんどうを見た子たちがどこかで私を見つけてくれると思うから、こうして取材も受けています。刑務所の中で私が出演したNHKの番組を見て「オレもこのカレー食った!」と思い出して、出所してから来てくれた子もいました。

 

発信することで出会いも増えました。AFP通信社の人が、わざわざ古びた団地に取材に来てくれたことがあって。新聞の1面に載せていただいたら、なんと同じ面に佐々木朗希くんが載っているの。実は他の新聞で大谷翔平くんと同じ面に載ったこともあるんです(笑)。

 

平成10年に保護司になったときは「いよいよ団地から保護司が出る時代になりましたね」なんて嫌味を言われたこともありました。保護司は無給のボランティアだから、そのころは「人望があって、経済的にも余裕がある人がやるもの」という位置づけだったんです。私は内心「保護司に必要なのは家屋敷の広さじゃない、心の奥行きだろう」と思っていました。

 

最近はいろんな人が「保護司になりたい」と言ってここへ相談に来てくれます。昨年、私の誕生日に50人もの人が集まってくださって、9割は初めて会う人たちでした。知り合いがつないでくれたご縁もあれば、SNSでつながったご縁もあります。前歴があるグレーな人も来てくれました。人は真っ白になんて生きられないんだから、薄墨みたいなグレーでいいじゃないですか。

 

そのとき、小林幸子さんがサプライズでビデオメッセージを送ってくれてびっくりしました。あとで聞いたら、誕生会を主宰してくれた人が、事務所に心のこもったメールを送って依頼してくれたそうです。ありがたいですね。

 

中澤照子と娘、小林幸子
中澤さんの活動に積極的に協力してくれている小林幸子さん。後ろは娘さん

── これからのことをお聞かせください。

 

中澤さん:人生のつきあたりが見えてきたので(笑)、ゆっくり無理なく活動を続けていきたいと思っています。声をかけてもらったら「とりあえず会ってみよう」と思っていますから、ここにはいろんな人が来てくれます。縁は思ってもみないところでつながるものですから、人との出会いは大事にしたいですね。

 

私は人の相談にのるのは好きでも、人に相談するのは苦手。でも人生後半になって、相談にのってもらったり、支えてもらったりする心地よさを知りました。小林幸子さんも「何でもするからいつでも言ってね」と言ってくれます。その言葉は私にとっては「お守り」みたいなものです。

 

よく思うんですけれどね、人さし指は「お助け指」なの。片足立ちをするとよろけちゃうけれど、人さし指でちょっと支えるだけで安定しますよね。お助け指みたいなちょっとした親切や優しさが、灯台の灯りにもペンライトにもなります。意気込んで「人のためにやろう」と思わなくていい。うつむいている人にちょっと声をかけて上を向かせてあげるだけでいいんです。母親がよく言っていました。「機嫌のいい人を増やしなさい。そうすれば回りまわって世の中がよくなる」って。私もそう思っています。

 

PROFILE 中澤照子さん

なかざわ・てるこ。古賀事務所に勤務し、歌手・小林幸子さんの初代マネージャーを務める。保護司として20年間活し、2018年に藍綬褒章を授与される。引退後、東京都江東区に「Café LaLaLa」を開業。YouTubeチャンネル「華麗なる更生族」を運営する。

取材・文/林優子 写真提供/中澤照子