歌手・小林幸子さんの初代マネージャーを経て57歳で保護司となった中澤照子さん(85)。保護司を引退し自宅近くでカフェを営む現在、かつてめんどうを見た子たちが中澤さんの元を訪れます。なかには、印象的な再会もあり──。(全2回中の2回)
自宅の下に何十台ものオートバイが集まって

── 保護司の活動についてお聞かせください。
中澤さん:保護司は刑務所や少年院から出所した人と定期的に面談をして、相談にのったり、生活環境を調整したりします。面談は月3回と決まっていましたけど、それではたりないこともあるから「いつでも連絡して」と言っていました。当時家に来ていた子たちが、大人になってから「何時間もよく相手にしてくれましたね」と言ってくれますけれど、性分だから苦にはなりませんでした。「中澤さんの家から眺める外の景色が好きだった」と言う子もいましたね。
非行少年の中には「大人は敵だ」と思っている子がいます。そういう子にとっては保護司も敵なんですよね。「この人の前で本音なんて言うまい」と思っている。そういう子とは、ゆっくり時間をとって話を聴くんです。無理やり相手のドアをこじ開けないように気長に待っていると、ふとドアが開く瞬間があるから、そこへ風を送りこむ。そうやって信頼関係ができれば、こちらが言うことも聞いてくれます。後輩に「中澤さんを困らせたらダメだ」なんて言ってくれるから、次に来る子がやけにお行儀がいいなんてこともありました(笑)。
── 時間をかけて信頼関係を築くのですね。
中澤さん:非行をしている子1人を更生させようとしても無理なのよね。家族や親戚や仲間がいますから。「その子を環境ごと受け止めちゃおうじゃないか」と思ってやっていたら、きょうだいや仲間がどんどん増えてすごい数になって。わが家は当時もいまも団地住まいなのですが、一時期、うちには暴走族の子たちが続々と集まっていました。
何十台ものオートバイがうちの団地の下に集まって、その中に私の担当の子がいる。携帯で「離れなさい」とメッセージを送ったら「ダメです」って。「離れなさい」「ダメです」「じゃあ先頭じゃなくて、後ろからついていきなさい」と伝えたら、あとで暴走族の頭が「中澤さん、頭と後ろがいちばん大変な役目なんだよ」と教えてくれました。暴走族の配置にはちゃんと役割があるんですね。そんなこと知らないですからね(笑)。そのうち「上に中澤さんが住んでいるから」と配慮して、エンジンの音を立てずに静かに集まるようになりましたね。
── 集まってくる子どもたちにはカレーを振る舞っていたそうですね。それが「更生カレー」と呼ばれ、子どもたちの希望にもなっていると聞きました。
中澤さん:普通の家庭のカレーなんですけれどね。誰が言い出したのか「更生カレー」といいネーミングをしてくれてね。「更生カレーで更生しよう!」なんていって。

若いころマネージャーをしていた小林幸子さんが、「一緒に更生カレーを食べたい」と言って団地にあるわが家に来てくれたこともありました。人気絶頂の忙しいときに来てくれて、みんなでカレーを食べました。玄関に靴がいっぱいになって、女王・幸子の靴が埋もれてしまって(笑)。サービス精神旺盛なところは、彼女が持って生まれたものです。人に喜んでもらえることが自分の喜びなんですよね。
保護司になることを反対した娘も協力してくれました。うちに人が集まる気配を察すると娘は帰ってこないんですけど、冷蔵庫に20個も30個もコーヒーゼリーが入っていたり、パンを焼いておいてくれたりしてくれたんですよ。
20年ぶりの再会 タバコを吸いながら泣いた

── 保護司の活動は何年くらい続けられたのですか。
中澤さん:20年です。法相から120人以上を預かって、そのきょうだいや仲間のめんどうも見ていましたし、地域の小学校や中学校の役員もやっていたから、毎日忙しく駆けずり回っていた20年でした。77歳のときに保護司を引退して、自宅の近くに「Café LaLaLa」をオープンしたんです。私を訪ねて来てくれる人がいたり、いろんな交流が生まれたり。私の基地みたいな場所です。
20年前に担当してからずっと、背中にこびりつくように気になっていた子がいたの。重い事件を起こして、その後どうしているかわからない。その子が、あるときぬっとここ(カフェ)へ入ってきたんですよ。20年ぶりだったけれど、入ってきた瞬間に「私が関わった子だ」とわかって、苗字を聞いたらフルネームがすぐに出てきました。
「丸山ゴンザレスさんが好きでYouTubeを見ていたら中澤さんがゲストで出てきた。喫茶店をやっているなら会いに行こうと思った」って。カフェにある小さな喫煙ルームが私の秘密基地でね、そこで2時間くらいその子とタバコを吸いながら2人で泣きましたよ。私が知らない20年間、すごく頑張ってくれていたの。中学もろくに行かなかった子が、20歳を過ぎてから高卒認定を取って、それが自信になって資格マニアになったって。トランプみたいに資格証を並べて見せてくれました。仕事でも信頼を得て、被害者の方への損害賠償金をずっと支払ってきたそうです。「よく頑張ってこうして会いに来てくれたね」と言ったら、「こんなに喜んでくれるなら、もっと早く会いに来ればよかった」ってね。
── それはうれしい再会でしたね。
中澤さん:もちろん、いいことばかりじゃないですよ。出所してここへ来てくれるたびに服装や持ち物が派手になるから、「大丈夫かな」と思っているうちに来なくなった子がいてね。あるときニュースを見ていたら逮捕されたって。がっかりしました。
どうしても被害者の親の気持ちになってしまって、担当している子から反省の言葉を聞きたくなることもありました。でも、それは保護司の役目ではないんですよね。保護司はひたすらあと押しをして、やり直しができるようにするのが役目だから。ときにはそれがつらいこともありました。加害者は忘れてしまうかもしれないけれど、被害者はずっと覚えていますからね。
それでも「中澤さんと会えてよかった」と言ってもらえるから、続けることができました。私がしたいからしていたことを相手に喜んでもらえて、「会えてよかった」と言ってもらえるなんて、うれしいおまけがついてくるようなものです。