被災地での「またね」の約束が叶った日 

コロッケ
東日本大震災にてものまねを届けたコロッケさん

──東日本大震災は被災範囲が広大でしたから、避難所から避難所の移動だけでも大変だったはずです。コロッケさんはそれ以前から東北と何か繋がりがあったのでしょうか? 

 

コロッケさん:いえ、僕は熊本県出身ですから、東北に繋がりはまったくありませんでした。それに当初は携帯電話も通じませんでしたから、まずは避難所を訪れて、「近くにほかに炊き出しが必要な場所はありますか?」と現地で教えてもらい、そこを訪れてまた情報をもらって…の繰り返しでしたね。「山合のほうに避難所になっている小学校があるらしい」「まっすぐ進んだ右手に公民館があるからそこにも避難している人たちがいるよ」などの口コミをもとに、手探りで向かう。そこで炊き出しを配ってものまねすると約2時間、その後にサインを書いたり写真を撮ったりしてと合計3時間くらいかかりましたから、僕たちの場合は1日でまわれるのは3か所くらいが限界でした。

 

どの避難所も印象深いのですが、震災直後で1日の食料がおにぎり1個とペットボトル飲料1本だけの時期だったとき、避難所になっている小学校でお笑いショーをすることになったんですね。その小学校で「着替えはここで」と案内された部屋を訪れたら、そこに避難されていた被災者のおひとりが、僕ら4人にコーヒーを1杯ずつ出してくださったんですよ。

 

──コーヒーのような嗜好品は優先順位が高くないだけに貴重だったのでは…。

 

コロッケさん:本当にそうですよね。おにぎりと飲み物しか食料が配られていなかった時期に、部外者の僕たちに貴重なコーヒーを出してくれたわけですから。「いやいや、もうそんな、とんでもないです」と遠慮したのですが、「いいのいいの、こうやって来てくれたことがうれしいから」と言われてしまって…。本当に何度お礼を伝えてもたりないくらいに、ありがたかったです。

 

そんな風にいろんな避難所を回って、いろんな方たちとお話しすることで、逆に自分たちが優しさをいただいたり、人としての大切なことを教えてもらったように思います。一緒に行った芸人仲間とも「俺たち、一生懸命にやらなきゃな」って帰り道で話したりしましたね。それ以降、僕は避難所で皆さんとお別れをする際は「また来ますね」「また会いましょうね」と声をかけるようになりました。一度きりでじゃあ、と終わるような形もイヤでしたから、「また会いましょうね」って。

 

──「またね」の約束が、いつか叶う日が来るかもしれませんからね。

 

コロッケさん:震災から15年が経ちましたが、実際に「またね」ができた人もいるんですよ。震災時に小学生だった子どもが、成長してたまたま僕の知り合いの会社に就職して、会う機会があったんです。その青年が、「あのとき避難所にコロッケさんが来てくれたことを覚えています。ものまねで笑えたあの時間はみんな元気になれたし、僕も誰かのために何ができるかとか、人生について考えるきっかけになりました」とわざわざ伝えに来てくれて、すごく報われましたね。あのとき、なりふり構わずに行動して、少しでも誰かの役に立ててよかった。心からそう思えました。

 

 

東日本大震災でボランティアをしていたコロッケさんですが、刑務所から子ども食堂まで、支援は被災地だけにとどまりません。その背景には「相手が一番、自分が二番」というコロッケさんの座右の銘が考え方のベースになっているそうです。

 

PROFILE コロッケさん

ころっけ。1960年、熊本県出身。80年、NTV「お笑いスター誕生」でデビュー。300種類超のものまねレパートリーを誇り、ものまねタレントとして芸術文化の振興に貢献したと功績が認められ、2014年に文化庁長官表彰、16年に日本芸能大賞を受賞。芸能活動のかたわら、震災被災地や子ども食堂の支援活動も精力的に行い、12年には防衛省防衛大臣特別感謝状を授与される。

 

取材・文/阿部花恵 写真提供/コロッケ