熊本出身で東北とは縁がなかったコロッケさんですが、東日本大震災後はいち早く被災地支援に奔走します。その後も続く活動の大きな原動力となったのが、石巻市での炊き出し中に起きた、ある出来事でした── 。(全4回中の3回)

「コロッケさん、何かものまねしてよ」

コロッケ
東日本大震災にて現地に出向き、呆然とたたずむコロッケさん

── 2016年には日本芸能大賞を受賞、ものまね芸人としてますます活躍の幅を広げてきたコロッケさんですが、30代のころからさまざまな形でボランティア活動に尽力されてきたことも有名です。東日本大震災でも早くから被災地支援に奔走されたそうですね。

 

コロッケさん:初めて現地入りしたのは3月中旬、震災からまだ1週間が過ぎたくらいで、携帯電話も繋がらないような時期でした。ちょうど友人がボランティア車両証明書を発行してもらえたので、炊き出し用の食料品をワンボックスカーにぎっしり詰め込んで向かいました。僕らが乗ることで品物が運べないのは失礼なので、自分たちの膝の上にもギュウギュウに荷物を載せて、山形から福島、仙台を回りました。大きい車だと緊急車両の邪魔になるので、ワンボックスが限界だったんですね。

 

── 芸を披露するタレントとしてではなく、炊き出しボランティアとして?

 

コロッケさん:そうです。でも、現地でものまねをできる状況がもしもあればと思って、ちょっと派手な衣装と音源はいちおう持参しました。僕らが現地に入ったときは、被災した方々の心身の疲れが出始めていたころでした。震災直後だと、緊張もあってかまだ体は元気なんですよ。でも震災から1週間、10日と過ぎていくと、疲労がたまって体がボロボロになってきます。僕たちは避難所をひとつずつまわって、まずは「ここで炊き出しをしてもいいですか?」と聞き、許可がもらえたら「自分たちはものまね芸人も一緒に来ているのですが、もしよかったら食後に何かちょっと芸をしてもいいですか?」と必ずお伺いを立てるようにしていました。「ぜひやってほしい。みんな疲れきってもうずっと笑ってないんです」と言ってもらえるところもあれば、「まだそういう状況じゃない」と断られることもありました。当たり前ですよね。

 

そんな風に各地の避難所をまわって炊き出しをしていたのですが、宮城県石巻市で炊き出しをしていたとき、列に並んでいた年輩の女性が僕に気づいて「コロッケさん、何かものまねしてよ」と声をかけられたんです。ありがたかったのですが「でも今だと逆に失礼にあたらないですか…?」との戸惑から断ったものの、「もうね、ずっと笑ってないのよ。いっぱいいっぱいなの。なんでもいいから」と言われて。そこで初めて「ああ、ものまねって今必要とされているんだ」と思えました。それならば、と思って「じゃあ誰がいいですか?」と聞いたら「五木ひろしさんでしょ、森進一さんでしょ、あとは…」と次々にリクエストが出てきた(笑)。そのとき炊き出しの行列には200、300人いましたから、そこで拡声器を使ってものまねをしたら、あちこちから笑い声が上がったんです。

 

笑い声に混じって「久しぶりに笑ったわ」という声が聞こえてきたし、大勢の人にすごく喜んでもらえました。その後も「僕がものまねをすることで笑ってもらえるなら」という気持ちで、各地の避難所をまわり、延べ1万人以上の方にお会いしてきました。